佐藤浩市という俳優がいる。

彼を見ていると、

なんでか必ず、胸の奥がぎゅぅっと締め付けられるような気持ちになる。


すごくダンディで大人な男性なのに

まるで、すごく大切なものを失って、不安でいっぱいになりながらそれを必死に探している、ちいさな男のコを見ているような気持ちになる。



彼には、他人には悟られまいと、じっとひとりで押し殺してきた孤独とかさみしさとか哀しさとか

ひとりで闘ってきた闇を、とても艶めきやかに感じる。

それが、彼の、どうしようもない魅力なんだろうな。



その、孤独に艶めく翳を彼に滲ませるのは、言わずもがな、彼の父親である三國連太郎の存在だ。


彼は、普通の家庭の父親らしい一面など、ほとんど見せることはなかったという。

インタビューでも、どんな父親でしたか?と聞かれ、佐藤は「いやぁ、酷かったですよ。」と答えている。


それでも、父親である三國連太郎は、役者という仕事に、自らの人生をかけて向き合うその「姿」でもって、息子を愛していたんだろうなぁ...と思う。


きっと愛って、その人自身の深さや濃さであって、向きじゃないんだ。



そういうことって、いろんなとこで感じるなぁ。


たとえば、自分が何かに飢えてて満たされなくって、何かでハメ外したいって思ってテキトーにめちゃくちゃやったとしても、コアな部分は何も変わらなかったり

それがたとえ変わってしまったとしても、自分が自分らしく生きるためには仕方のないことなんだろうと思う。



そういう孤独さを、あたしは愛したい。