いま、友だちが貸してくれたこの本を読んでいる。

この本、ほんとうにヤバい。


同時にこの世界に存在している、別の角度からみたもうひとつの世界 のことが、書いてある。


ふだんの生活をしていたらまず気付く事のないであろう、確実に存在しているもうひとつの世界。



自分はなぜ生かされているのか。

なぜ、自分の意志とは無関係に、心臓は動き、臓器は動いているのか。


心臓は一生の間、一瞬たりとも休むことなく、ロケットが大気圏に飛び出すのと同じくらいすさまじい圧力で、血液を体中に送り出している。

死ぬまで続く、爆発の、連続。

死ぬまで働き続ける、臓器たち。

自分という思考をあらしめてくれている、もうひとつの自分、の世界。



なぜ生き物は、自分のからだのなかのことを認識できないのだろう。


命がたいせつなんじゃない。

大切なのは遺伝子で、このからだは、その遺伝子を運ぶ乗り物に過ぎない。



皮膚というずた袋のなかに臓器を詰め込み、それぞれが管でつながっているこのからだ。

死んで動かないのが当たり前で、生きて動いている、そのことのほうが奇跡だという感覚。




毎瞬毎瞬、爆発している心臓。

そのリズム。

その音を聴いていると、なんだか興奮してくる。


太鼓と太古の記憶。


鼓動と音楽とセックスは似ている。



強烈な青い空に向かってぐんぐん漕いでいく、ブランコ。

上がって、下がって、だんだん高くなって、高くなって、

そして、その瞬間ー。

ふたりもつれあいながら、鼓動するとてつもない青に飛び込み、呑み込まれ、解き放たれる。

そしてゆっくり、ゆっくりと羽根のように地面に下りてくる。







ガンで死ぬ、病院で死ぬ、ということ。


抗がん剤によって正常な細胞までがやられ、からだのなかの情報伝達系が混乱したまま、恐怖と怒り、希望と絶望、感謝と無念さのなかで意識が薄れていく、無数の管につながれた末期ガン患者の最期。



からだの、細胞の声を聴き、からだが最期に何を望んでいるのか、を知ること。

からだはきっと、受け入れることができる。

尊厳ある、自らの意志による死。



死ぬこと は、生きること。






そんなことが、書かれてある。


まだ半分だけど。





三上ちさこオフィシャルブログ「その、憶にあるもの。」Powered by Ameba