私は読書は
小説よりも
エッセイが好きです
とりわけ
ちょっぴり毒舌で
クスリ、と笑える
エッセイが好きです
そして
多分好みの問題なのか
読みはじめる時に
この方の書いたものは読めるけど
この方の書いたものは
全く読み進んでいけない
というものがあるので
図書館で一度借りてみて
これは面白そうだ
読めそうだ、と思ったら
読みます
先日読んだ
「おいしいアンソロジー」という本が↓
何人もの作家さんが
「おやつ」について
書かれていたエッセイで
楽しく読み進めておりましたが
その中の作家さんで
これは、、、
面と向かっていらっしゃると
恐れおののいてしまいそうだけど
文の書き方が
オモシロイなぁと思う
作家さんがいらっしゃいまして
それが
内館牧子さんでした
そんな内館さんの書かれたエッセイ
「女盛りは意地悪盛り」の中に
「柔らかな雨」という
タクシー運転手さんとのやりとりを
書かれたエッセイがありました
あるお若い
タクシーの運転手さんが
横綱朝青龍のことを
怒っている内館さんをテレビで観て
おっかない、、、と思っていたけれど
タクシーを降りようとした時
そんな内館さんのことを
「すげぇ優しい人なんすねぇ、
声とか言い方とかも女らしくて」
と言ったのだという
このエッセイの
最後の一文を読んだ時私は
電車の中で吹き出したのでしたが
内館さんが
「ザ・ワイルドワンズ」という
内館さんと同世代
団塊世代のアーティストのライブに行き
途中でメンバーの一人が
歌詞がどうしても
思い出せなくなった時のこと
以下引用します
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客席から
「そういうの、俺らもよくあるぞー、
気にするな」
「そうよーッ、私らしょっちゅうよーッ」
その声に
ドッと拍手と歓声が沸く
こんな連帯は、私の趣味ではないのだが
ジンワリと心に水気が行き渡るのを
感じていた
私はこの人たちと共に青春を送り
この人たちと常に
熾烈に戦って生きてきた
しかしそれを癒しあうのも
またこの人たちとであったのだ
(中略)
「みんな、ここまで来たね。
よくやったよな」というような
決して私の趣味ではない何か
だが、それは少なくとも
「おっかない女」の最中にある今
柔らかな雨だった
タクシーの運転手さんが
「優しい女」と言ってくれたのは
このライブの翌日のことである
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人は自分を許し
人のことを許せるようになった時
「優しさ」という言葉を
実感するのかも知れない
内館さんは後書きに
このエッセイを書いておられた
2004年以降の10年間は
「激変の十年」だったと
書いておられます
東北大学の大学院を突然受験
合格して仙台に拠点を移し
3年間仕事を休み大学院生の日々を
過ごした後
大学院を出て再び仕事を始めた矢先
急性の心臓病で倒れられ
生死の境をさまよって生還し
元の生活をするには時間がかかり
今ようやくどうにか
元の生活に戻ることが出来たと
十年前と今(2014年)では
文章が変わっている
今の私には
このタッチは書けない
人は一人では生きられないという
言葉はいいのだが
それを得々と口にし
説教を垂れる人を好まない
しかし10年経って読み返して
「あぁ、人と一緒に生きてきたなァ。
人は一人では生きられないなァ」
と実感させられたのだという
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誰しもきっと
「今の私には出来ないな」と
思うことが出てくるのではないか
それは間違いなく
「今を面白がって、
今を存分に生きよう」という
決意につながるように思う
そしてそれは
意地悪ぶりをふと柔らげ
男盛り、女盛りを
豊かにしてくれるのではないか
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なるほどなぁ
内館さんのエッセイは
最後の一文が
「オチ」のように楽しい
そんなエッセイを読みながら
私も10年後どうなるかなんて
さっぱりわからないけど
これまでのことを
時々振り返り
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自分を心優しくし
他人の存在が
ありがたくなり
力がわいてくる
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今を
存分に生きようと
思うのでした

