例えば
100個のゴミがあったとして
その99個を掃除して
残り1個を掃除し忘れている時
その残り1個のゴミを見て
「ここ、掃除できていないよ~」
と指摘がある
そこに最初は
99個のゴミが
あったことを知らないで
単に
「ゴミがあるよ」と
伝えているのか
それとも
99個のゴミがあったことも
知っていて
あえて完璧さを求めて
伝えているのか
内容によっても
状況でも
変わってくると思います
捉え方や
伝え方によっては
たった1つの落ち度のせいで
それ以外のものは
全て出来ていないと見なされる
これまで
99個ゴミを拾った頑張りは
誰にも認めてもらえない
1個の取りこぼしが
あら~
油断したねー
で済むことなのか
その「1個」のために
全てが台無しになってしまうのか
100円の物を買いたくて
99円のお金はあっても
1円が足りないと
100円のものは買えない
テストの点数が
1点でも足りないと
合格ラインには乗れない
それによって
全て崩れ去ることを
経験することだって
あるのでしょう
完璧な人なんて
誰もいない
「ここ、掃除出来ていないよ」
例え話の
こんな言葉1つにも
色んな背景があり
それをどう認識して
どう伝え
どう受け取るか
個々の意識や
背景を思うと
大事なのかもなと思うし
とはいえ
その時まで積み重ねた
99個のゴミ拾いや
悔しい思いは
血となり
肉となる
決して無駄ではない
そんな風にも
思うのです
