最近「縁」という言葉がやたらと好きになりまして。
何か問題が起こっても
全て「縁」だからと考えると自分の中で腑に落ちることも多く。
そして使い続けているうちに
(ブログでは毎回、最後に「ご縁に感謝」という言葉を入れてます)
この言葉って「仏教的」な言葉なんじゃないかと
ふっと思ったのです🤔
そして本日、尊敬している和尚さんに聞けました☺️
「縁」という言葉最近、とっても気になるんですが。
コレは仏教にもありますか?
と質問したところ。
それはねー。
仏教の根本である「縁起」からきてるんだよ。
その話する? 難しいよー。と![]()
難しい話は私も皆さん苦手だと思うので、
とても優しく解説してくれたものを
さらに簡単に私が説明すると
「縁起が悪い」なんて言葉があるけど
「悪い」とか「良い」というモノではなくて。
良いも悪いも「縁起」とはこの世の全てのことを表している。
私が存在することが「縁起」であり
あなたが存在することも「縁起」
生きていること自体が「縁起」であり
生まれてきたことも「縁起」
幸せな事も「縁起」
不幸せなことも「縁起」
人は自分の都合で
不幸せなことに関しては「縁起が悪い」と言い。
幸せになりたくて「良いご縁をいただく」とお参りする。
「良い」か「悪い」かは全部、自分の判断なだけ。
自分の目の前に起こる事柄は全て「縁起」
仏教では、その縁起を「良いとか悪い」とかじゃなく
向き合いなさいと伝えている。
ということは「縁起」からきている「縁」という言葉は
自分と向き合うとともに
ご縁に感謝した場合は
全てのことにありがとうと感謝していることになる
「縁起」を考えると「無限」に続く「縁」があることに気がつきますよね?
よって仏教では「空」という文字が「縁起」を表している。
般若心経の中に「空」という言葉が入っているが
「空」=「縁起」
という意味にあたる。
「空」=「無」という考え方は
「空」を最初に英語で「empty」と訳してしまったせいで
「空っぽ」だから「無」というイメージになってしまったそう。
しかし本当は「空」は「縁起」であり
「縁起」を考えていくと無限に広がる世界がある。
私がここにいるという縁はさかのぼっていくと、考えられない程の縁が無数にある。
それは、まるで宇宙のように「無限に繋がっている」
その「無限」の「無」だとすると思考的に正解に近くなるかな🤔
無=何もない空っぽな訳ではない
その辺をちゃんと理解していないお坊さんは
「空」を空っぽだと思い込んで、そのまま教えてしまうらしい![]()
「空」が空っぽの無だという思考よりも。
「空」が縁起という無限のあり方を示しているという考え方の方が
納得もできるし、心にしっくりくる感じがする。
「縁」という言葉がより好きになった今日でした。
お坊さんにclubhouseで仏教を教えてもらう企画しています
直接、お坊さんに質問できます。
仏教学者でもある先生で。
現代の日本の仏教のシステムがお金儲けの為に動いていたり。。。
正しくない教えになっていて、おかしくなっていることにご立腹で。
宗派問わずに正しい仏教を解説してくれます。
本当の仏教をちゃんと知れると面白いです。
最後まで読んでくれてありがとう💕
ご縁に感謝🙏

