はるさんのお金のプログラムで、妄想と事実を見るワークがありました。






妄想のワークは、


私が将来やってみたいと思っている、セッションや講座について感じている不安や怖さを見ました。



・あんまり大したことなかった


・得るものがなかった


・悩みが解決しなかった


・金額ほどの価値がなかった


・期待外れだった

と、お客様に思われたらどうしよう、

また、そのせいで私が立ち直れなくなったらどうしよう、

というのが私の感じている不安でした。





これらは全て頭の声ですが、


「かなりの可能性を持って、起きそうな気がして」ものすごく怖いのです。







対して、事実のワークは、


今まで実施した、無料のおしゃべり会やお話会で頂いたご感想を見ました。




・楽しかったです
・おしゃべり会をしてくれてありがとう
・リラックスして話せました
・またお話ししたいです
・出会えて嬉しかったです
・話を聞いてもらえて嬉しかったです
・タイムリーな話題がありがたかったです
・気付きがありました
・違う視点を得られました
・ブログが書きたくなりました
・ふみこさん、ありがとう❗️







うわーん、ありがたくて涙でます😭





なのに、なのに、
頭が言うのです…












社交辞令だったらどうする?



そう、頭の声のせいで、

真っ直ぐに受け取れない…😭






「なんで、

事実じゃなくて、妄想を信じちゃうかなー😱」




と自分で自分にツッコミました😅











そしたら、

頭の声は、私を守るために、
傷つかないようにするために、

いろいろ言ってくるだけだった、と思い出しました。


「なんだ。傷つかないようにしたかっただけか」


と思ったら、

頭が静かになって、


新しい言葉が湧いてきたんです。






もし、セッションとかして、

「期待外れ」って言われて、
がっかりしたとしても、別にいいよ?

上手くいかなくて、どうしようってなっても、別にいいよ?

あー力が足りなかったなって、凹んでも別にいいよ?

やるんじゃなかったーって後悔しても、別にいいよ?

申し込みなくて、カッコ悪いーって情けなく感じても、別にいいよ?







「とんでもないことになって、


傷ついても、別にいいよ?」










「嫌な気分になっても、別にいいよ?」




「だから、何でもやったらいいんじゃない?」





こんな風に思っている私が、ちゃんと私の中に居たんだと、驚きました😳







もう、心がホッとして、どんどん体が緩んでいきました。








嫌な気分になってもいい、

傷ついてもいい、というのは、




動じないから大丈夫、とか、
耐えられるから大丈夫、とかいう意味ではないんです。





嫌な気分になって動揺したとしても、


耐えられなくなってしまったとしても、


それすらも、いいよ、という感じなんです。







やけくそでも、ポジティブシンキングでもない事は、体感が良くなったことでわかりました。






そして、
なーんだ、怖がってたのは頭だけか!
と笑えました。





「別に何でもいいよ?」と思う自分がいた事でとても安心できました✨





やっぱり、どういう感情もオッケーにして欲しい相手は、〖誰か〗じゃなくて〖自分〗でした🥰