自分が自分を愛していると
「体で感じたら」、
心が満たされて、
感覚が変わってしまい、
いろんな事に対する視点も、
今までとは違ったものになりました。
と、こちらの記事に書きました↓
じわじわと心が満たされていって、びっくりするくらい幸せな気持ちになりました。
「わぁ…満たされるってこういうことかぁ。いい気持ちだなぁ」
ものすごく満たされて、
欠けたところがないと感じた私は
思いました、
「なんて穏やかなんだろう。
私、達観したわ」と。
▷達観とは
物事にとらわれないで、喜怒哀楽を超越すること。
(精選版 日本国語大辞典より)
すっかりいい気分になって、
これから先、私の心はきっと、
平穏な凪のようになるだろう…
と予測しました。
しかし、
その予測は、
見事に打ち砕かれました😂
夫のいつも通りの態度によって…。
なにコイツ、むかつく!
出した皿はちゃんと片付けろ!
ドアは閉めろ!
ムキーーー‼️😡
達観どころか、前と同じように、
こんなしょうもない事に反応している。
こんなに満たされてるのに、
まだ腹が立つ。
〖夫が何をしようが、心は揺れませんよ~〗とはならない。
「なんでーーー???😱」
ってなりました。
どうしてまだ気持ちが揺れるのかな…と考えた時に、
思い出しました。
〖喜怒哀楽を感じるために、この世界に来た〗のだったことを、
忘れてました😅
それを思い出した上で、もう一度、
〖満たされている感覚〗
と
〖喜怒哀楽〗
について眺めてみたら、
立っている場所というか、視点というか、
そういうのが前とは変わっていることに気づきました。
以前は、
思い通りになっていない事は、
「欠けていること、不足しているもの」という視点で見ていました。
だから、
欠けているところは埋めなければならないし、
不足しているところは補わなければいけなかった。
自分にはこういう部分が欠けているから、変わらなければ。
あれを持っていないから、手に入れなければ。
いつも、
「なんとかしなければいけないことがある」という感じでした。
でも、満たされた後は、
足りないと思っていた、あれもこれも、全部オプションみたいな感じになったんです。
もう満ちてるから、どれもこれも、
どっちでもいいし、
何でもいいんです。
今の私で既に愛されているから、
欠点だと思うところも、
何とかしなくてもいいし、
今のままのゲスさで大丈夫だから、何を感じてもいい。
思い通りになっていない外側も、
オプションだから、
あってもなくてもどっちでもいい。
こういう視点に立って初めて、
どっちでもいい
何でもいい
何を感じてもいい
喜怒哀楽全て喜び
と言っても大丈夫なのだとわかりました。
今までは、正直なところ、どっちでも良くない!と思っていました😅
だけど、
「足りない」と信じていた過去の私も、
実はちゃんと足りていたし、
満ちていたと思います。
気が付いていなかっただけでした。
そして、足りない世界で生きていたことも、それで良かったんです☺️
だって、何でもいいのですもんね✨
何でもいい。
その上で、
「いやいや、やっぱりそんな風には思えないし、足りません!」をやってもいいし、
理想を求めてもいいし、
より良く生きるために努力してもいい
のだと感じています。
今回、満ち足りるという自覚を持ってみて、
達観はしないけれど(笑)、
〖もう満ちてるから何でもいい〗
だったら、好きにやろう、喜怒哀楽自由にやろう、と思いました。