先日報道されたニュースです。

 

Togetterを貼っているのは反応も含めて確認できることが理由ですが、元の記事はリンク先にある産経新聞です。

子どもの作り方が分からない大人が登場している、とのことですが、個人的にはこれは予想の範疇です。むしろ、ようやく表に出たか、という感じです。

日本の性教育が遅れていることは改めて言及する必要はないと思いますが、一応記事を載せておきます。

 

 

当時の内閣総理大臣がこんなことを言うくらいですから。

 
性教育というのは我々の年代では教えてもらったことありませんが、知らないうちに自然に一通りのことは覚えちゃうんですね。ここまで教える必要があるのかどうか。これは私はちょっと、初めて拝見しましたけれども、ひどいと、教育の在り方というものはもっと考えていただきたいと思います。(2005年3月4日参議院予算委員会)
 
「自然に」ということがどういうことかはちゃんと明らかにしなければいけない問題で、というのは非常に危うい基盤の上に成り立っているものであるからです。記事内にも、
 
「『性的なことにはまったく興味がなく、アダルトビデオも見たことがない』と話す男性もいた。教育の現場で、『性行為は避けなさい』というトーンだけが強調されている面もあるのでは」

「性暴力のニュースなどに触れ、性への関心が抑制される子が少なくない。恋愛をトラブルの元と考えて遠ざけ、そのまま自慰行為を覚えずに大人になる。『寝た子を起こすな』というが、適切な性教育がなければ『寝た子は寝たまま』だ」

 

とありますが、全くその通りだと思います。自分の経験から照らしてもその通りだと思います。学校では性的行為の危険性やインターネット・SNSの危険性については語られますが、意義については語られません。(余談ですが、昨今だとICTについても近い状況で、今まではインターネットやSNSの危険性ばかりが語られる状況でしたが、最近ようやく学校での活用が始まりました。次の焦点はchatGPTで、こちらも全国の大学には「禁止」の通達を出しています)「自然に」覚えるのはあくまでも「普通に」成長した場合であって、いわゆる優等生ほどタブー視されたものには触れないだろうと思われます。そして、学校では教えないが勝手に身につけてほしいというダブルバインドが通るとは思いません。

ある意味では、生徒が学校に在籍している間に性的トラブルが起こるのを避けるためには、性に関することをタブー視した方が良いのかもしれませんが、ただの事なかれ主義でしょう。

 

この話題、最近見た気がする、と思ったのでリブログさせていただきます。

(挿入)

 

とりわけ発達障害の特性として、「暗黙の了解が分からない」ことと「曖昧な指示が伝わりにくい」ことがあるため、性教育との相性は最悪であると言えます。女子の場合はそれでも曲がりなりにも教育が行われているようですが、男子の場合は全く教育機会がありません。

知的障害を伴う場合は問題がもっと難しく、七生養護学校の性教育が弾圧されて以降は教育環境は非常に厳しいものになっています。この記事や、記事で紹介されている本で詳しく述べられています。

 

 

個人的には結構な割合でこういう人がいるのではないかと思っているのですが、どうなのでしょうか?