今年も24時間テレビの季節になりました。
24時間テレビ自体にさまざまな賛否があるのはもはや恒例のことですが、障害を理解する、してもらう機会としては年間で最大のものであるという事実に揺るぎはありません。
ですが、そもそも「障害を理解する」とはどういうことなのか、実は共通の理解はないのではないかと感じます。
障害・疾患の症状を理解することもこのうちの一つなのでしょうが、学校現場や社会で言われているのは、そういう人がいるということを含めた多様性の尊重という意味で使われていることが多いと思います。
ただ、結局共生するためには障害に伴う症状の理解というのは不可欠だと思います。
学校などで障害理解教育を求める声はあります。共生社会実現のためにはインクルーシブ教育による障害理解教育(両者は異なる概念であることに注意)は必要である一方、障害者が教材として利用されることの批判が見られたりします。
これに対しては、教育の教材となるのは障害者だけではなく、健常な子供も含めた皆が対人関係を理解するための教材になっているのでは、というように理解します。
興味深いのは、「障害に伴う症状の理解が不可欠」である一方、障害に伴う症状というのは一人一人異なってくるため、「障害理解教育」の中身も一件一件変わってくる、ということです。これは学校教育のカリキュラムを定める主体が学校・学級単位まで降りてくるという点においては画期的です。
障害への理解を求める声があるのは確かで、そうあるべきだとは思いますが、何を理解して欲しいのか、そしてどこまで一般の人に理解してもらうことが必要か、というのは誰かが考えなくてはいけないことだと思います。自閉症・ダウン症や身体障害の中でもメジャーな障害についてはまだしも、希少難病まで詳細に理解するというのはなかなか厳しいのではないかと思ってしまします。(意見募集しています)