どこかの論文から見つけてきたわけではない、独自の考えなので根拠には乏しいかもしれませんが…
「学級」の機能を3つに分類してみた、というものです。なんかレポートを書いていたら思いつきました。
日本大百科全書で検索。
学校教育を行うにあたっての教育の単位組織。もともと学級という集団を組織して教育することは、同時に多数の児童・生徒を教えるという経済的理由に基づくものであるが、現代では学級の社会生活そのものに、より重要な教育的意義があると認められている。
これより、学級というのは集団として定義されていることがわかります。担任と児童生徒からなる集団を「集団としての学級」と定義しましょう。
さて、学級を形成するのは「同時に多数の児童・生徒を教えるという経済的理由」が元々の理由ですが、「学級の社会生活を送る」ことも理由として挙げられています。こうした、教育を行う場としての学級を「制度としての学級」と名づけてみましたが、前者と後者でさらに分けた方がいいかもしれません。
そして、学級の構成員は基本的に教室で生活することになります。教室など、同じ空間で過ごすことを「空間としての学級」としてみました。
さて、通常の教育課程から「排除」されるのは、この3つのいずれかに困難さを抱えるためであると考えられます。
これは不登校を考えると非常に分かりやすいです。例を挙げると、
集団としての学級:人間関係のトラブルに学校に行きづらくなる。
制度としての学級:授業や集団生活についていけない、そうした生活に不信感がある。
空間としての学級:病気などにより教室に行くことが困難、集団の中にいることに困難さがある。
特別支援教育にあたっても同様のモデルで考えられそうです。
集団としての学級:社会性の発達などの観点から、少人数集団の方が成長に効果的である
制度としての学級:他の生徒とは異なる教育課程を組むことが適当である
空間としての学級:他の生徒と同じ空間で学習することに支障がある(例として、感覚過敏など)
さて、問題となるのは実際にこうして通常の学級から分離されると、この3つの働き全てが別のものになってしまいます。不登校の例で考えると、人間関係のトラブルで不登校になった場合、元々勉強に問題がなかったとしても学校と同じカリキュラムで学べる場はそうそうないでしょう。
インクルーシブ教育においてもこのモデルが使用できそうです。インクルーシブ教育は理念としては全ての子供が共に学ぶことを前提とした教育であり、これが目的ではないことに注意する必要があります。本来の理念においては、「全ての子供が参加」→それにあった教育課程を組むという課程が必要ですが、現実的にこれは難しいものです。
集団としての学級:他の子どもと同じ学級の仲間として認識される
制度としての学級:他の生徒と同じやり方で同じ内容を学ぶ
空間としての学級:他の生徒と同じ教室で授業を受ける
実際に求められているのはどれでしょうか。恐らく「集団としての学級」の役割に期待していると思われますが、「同じ内容を学ぶ」ことや「同じ教室で授業を受ける」ことがインクルーシブ教育であると考えている人もいるため、なかなか難しいところです。
これを使って、もう少し色々考えられそうです。