黒富士といわれる夏の富士山。
上の方は晴れて明るく、下は稲光と黒雲が立ち込めています。
山の天気の極端な様子が人の世を表すような、鳥肌の立つ景色です。
この絵は北斎が70歳を過ぎた頃に描いたそうですから、
そのバイタリティーには脱帽という気がします。
下の方にある稲光が北斎の強靭な血脈のようです。
つねきちも今回は忠実な模写器(もしゃうつわ)に徹したようで、
背筋を正してきっちりと仕上げました。
天上という言葉がまさに当てはまる壮厳な富士の上半身。
夏の積乱雲が薄衣のようにまとわりついています。
上と下とでは全く別の世界。
樹海を覆う墨のような雲を赤い光が容赦なく切り裂きます。
恐ろしくも美しい抗うことのできない力を表現しています。
そして北斎のスタイリッシュな入道雲。
いつか開けてゆく未来を教えるように、
空の彼方へと続きます。
こちらは黒富士と対照視される赤富士こと、凱風快晴。
同じ夏場の富士山ですが、
早朝の澄み切った様子を描いています。
つねきちが模写したのは2年程まえですので、
今とは雰囲気も違いますね。
絵には魂がこもるものですから、
つねきちには上手に描くようにと言った事はありません。
それでも本人は少しずつ
自分なりの筆づかいを考えているようです。
つねきちの絵を見ていると、
なんとなく当時の絵師の気持ちが伝わってくるような気がします。
昔の人の想いが時空を超えて
私たちに教えてくれること。
つねきちは本能的にそれを感じ取り
描き続けているのだと思います。
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