皆さん、こんにちは!
いよいよ夏本番!暑い毎日です。
真夏生まれの宮澤マネは夏が大好きです!

さて、「阿賀町家族  母 」ブログも第6話になりました!

阿賀町家族 母 ブログ第5話はこちらから

阿賀町の当時は上川村で同居を始めた当初は
上川の方言がわからなくて・・・。
おばあちゃんたちの会話はまるで外国語。
日本語ではあるのですが、イントネーションが
違っていて(もともとは会津藩だったとか)。
見附は「・・・・が」だったのが
阿賀町(上川村)は「・・・・・だべ」

椅子は今までは 「イス」 平らに発音していたのが
「イは高くてスは下がる   イス」
肉も 今までは「肉」
上川に来たら「二が高くてクが下がる  ニク」
変だ~とは思いながらも徐々に慣れました!

上川の人たちはどうも親戚になると
家族同様のつきあいのような。
先回の「居たか」もそうですが、
何か用事があって家を訪ねると
必ず「寄れ」といわれ
「お菓子」「おかず」が出され手厚いおもてなし。
「いや、忙しいから」といっても
「ちょっとくらい大丈夫だろう」と中に通され
これまた手厚いおもてなし
玄関先で用事を足すなんて無礼だと
言わんばかりです。

ということで専業主婦をして
近所に行くとお茶をごちそうになって
私は一躍「芹田(せりだと書いてなぜかせんだと発音する)
向かい」に越してきた双子のお母さんとして
有名になるのでした。

都会にはないこうゆう暮らしは
都会の人にとっては煩わしいのかも
しれませんが、
三世代同居だったり
近所も親戚もみんな家族・・みたいな生活は
とってもあったかいと思いますよ!

いやだなということももちろんたくさんあるけど、
生きていればいろんなことがあり
またいろんな方と出会うことで成長もある。

阿賀町上川人はそういう意味では
とってもあったかくて親近感があって
私みたいに途中同居の人にとっては
居心地のいい生活でした。

ということで
阿賀町家族の基盤が築かれたのでした!




写真はアイビスゴルフ場から見た御神楽岳(みかぐらだけ)!
阿賀町上川人のシンボルです!
みかぐら荘もこの御神楽岳の名称からきました!