今回は志向を変えて

DIYの小話をしてみようと思います。

 

 

メジャーリーグ・エンゼルスの大谷翔平が学生の頃からずっとお世話になってきた「アシックス」と「デサント」をバッサリ捨てて「ニューバランス」と大型契約を結んだことから、日本国内で「ニューバランス」が大注目されるようになっています。

 

その影響からでしょうか、

昨日放送された『カンブリア宮殿』のゲストは「ニューバラス・ジャパン」の社長、久保田伸一さんでした。

 

久保田さんが親に頼み込んでニューバランスのスニーカーを初めて買ってもらったのは中学生の時。

その履き心地があまりに感動的だったため、その後ありとあらゆるスニーカーメーカーにカタログを請求し送ってもらったといます。

 

ところがニューバランスからだけ届かなかったため、久保田さんはアメリカの本社宛てに「カタログが欲しい」と英語で手紙を送ったところ、その手紙の返事と共にカタログが送られてきたんだそうです。

返事をくれたのはニューバランスの企画開発担当者だったエド・ノートンさん。

 

久保田少年のニューバランスに対する熱意と愛に感動し、その後9年間も手紙のやり取りをしてくれたノートンさんは

久保田さんからの質問に答えてくれるだけでなく進路相談や人生相談にも真摯に答えてくれたとのこと。

 

そしてその後、ニューバランスに入社した久保田さんは、マーケティング部門やアメリカ本社勤務を経て、2019年日本法人の社長に。

 

 

という夢の様なお話だったんですが、

この話を聞いて「ハッ!」としたことがありました。

 

 

 

今からもう半世紀以上前のことになりますが私が小さい時には洋画が入ってきていましたし、

「奥様は魔女」「じゃじゃ馬億万長者」といったアメリカのホームコメディーなども放映される様になっていました。

 

特にホームコメディ番組はキャラクターの独特な個性とストーリーの面白さが日本でもウケて大ヒットし、多くの人に愛される番組となったのですが、まだ小さかった私も毎回必死になって見ていました。

 

でも私が一番夢中になった理由はアメリカの建築様式と室内インテリア。

 

まず生まれて初めて目にした「ヴィクトリア様式」の家の外観と内装にメロメロになりました。

「何てキレイなんだろう。何てオシャレなんだろう」と子供ながらに物凄い衝撃を受け、更に目を奪われたのが室内インテリアです。

 

テーブル・椅子・ソファ・食器棚・クローゼットなどの家具は元より、窓・ドアといった建具や、カーテン・テーブルクロスなどのファブリックまで見るもの全てに夢中になったものです。

 

そしてその中でも特に気になって仕方なかったのが「モールディング」でした。

 

「モールディング」とは、主に壁と天井・壁と床といった壁面の境目に施す建築様式で、その他にも壁飾りやシャンデリア用の天井飾りとしても使われます。

洋風建築が多くなった昨今でも「見た事はあってもモールディングという言葉は知らない」という人の方が多いと思うのですが、

当時この「モールディング」というものは「見た事も聞いた事もない」という人が殆どで、私も「この飾りは何?何ていう名前なんだろう?どこに売ってるの??」と興味津々となってしまったのでした。

 

当時は家庭用ビデオなど無かった時代でしたから、アメリカのテレビ番組の放送が始まるとスケッチブックを用意して、気になったインテリアやファブリックや建具などを全て絵に描きながら必死に見るというマニアックぶりを発揮していました。

そのあまりの必死さぶりに感心したのか呆れたのかは定かではありませんが、母が「絵に描くんじゃ大変だから写真を撮ったら?」というアドバイスをくれたお蔭で、憧れのインテリアを写真でいつでも見る事が出来るようになり毎日毎日その写真を眺めてはウットリとしていたものです。

 

その後、銀座の老舗洋書店・イエナで「アメリカン・カントリー」「ホーム&ガーデン」といったインテリア関係の洋書を見つけてからは、お年玉を全額はたいてそれらの雑誌を買い漁るようになっていき、誕生日もクリスマスもプレゼントは全部こういった洋書にして貰っていました。

 

そしてその中に「モールディング」の特集を見つけた私はそれを片手に何と自宅近くにあった建築会社に向かい「これの本物を見る事はできないか」と掛け合ったのですが
その時私がまだ6歳だった事もあってその建築会社の方はビックリしながらも「日本橋にこれを作っている会社がある」と、会社の場所を丁寧に教えてくれました。

 

それを知った私は居ても立てもいられなくなってしまい、親にも言わずたった一人で日本橋まで行ってしまったのです。

 

たださすがに会社の中に入る事ができず、入り口付近から中を覗いたりしながらずっとウロウロとしていた所、中から突然おじさんが出てきて「お嬢ちゃん、何か用かな?」と笑いかけてくれたので、家から持ってきた洋書を見せて「これの本物が見たくて来た」と必死に伝えました。

 

するとそのおじさんは「え?これが見たくてここまで来たの?!一人で?!ずいぶん変わったお嬢ちゃんだね~!」と仰天しながらも私を会社の中に案内してくれ、夢にまで見た本物のモールディングを見せてくれたのです。

 

初めて手にしたモールディングは美しくズッシリと重かったのをよく覚えています。

今はウレタン製・モルタル製・プラスティック製などの超軽量なモールディングが一般的ですが、この当時は木か石膏でできた物しかなかったので、ほんの30㎝程度のモールディングでも相当な重さがありました。

 

感激のあまり固まってしまった私に、そのおじさんは「ちょっと持って帰るのが大変だけど、いるならコレ持っていきなさい」と、分厚い「サンプル帳」を手渡してくれて、そこに自分の名刺も挟んでくれました。

「一般客用のサンプル帳などなかった時代だったから建築業者用の貴重なサンプル帳をあんなチビ助にプレゼントしてくれたんだ」ということに気づいたのは結構大人になってからです。

 

ドキドキしながら家に帰ると、貰ってきたサンプル帳を見つけられると同時に、一人で勝手に日本橋まで行った事がバレてしまい、当時同居していた祖母にコテンパンに怒られましたが、

私が貰ってきた名刺から私を会社の中に入れてくれただけでなくサンプル帳までくれた優しいおじさんがその会社の社長さんだった事が分かり、祖母はお茶菓子に御礼状を添えて社長さん宛に送ってくれました。

 

それを見た時、幼心に「人から受けた親切や恩に対して感謝の気持ちをきちんと返さないといけない」という事を初めて学んだように思います。

 

こうして6歳だった私がたった一人で日本橋まで大冒険した事と、それによって宝物を手にできたという事が私のインテリア熱を益々高めていく事になります。

さすがにモールディングを作る事はできませんでしたが、当時まだ手に入らなかったローラアシュレイの壁紙を自分で作って壁に貼り、

遊びに来た友達を「何これ!」「綺麗!」「ステキ!」と絶叫させてニヤリと笑う嫌な小学生になっていくのでした。

 

 

 

そして昨日の『カンブリア宮殿』を見た私はこう思ったのです。

 

 

 

しまった!

あのままDIY道を突き詰めていれば今ごろ「DIYの母」とか呼ばれていたかもしれない!

 

いや、違う!

もしかしたら日本初のDIY専門会社を設立して「DIY界の女帝」とかって呼ばれていたかもしれない!

 

いや、チョマテヨ!

そんなに仕事一筋で頑張っていたら結婚していなかったかもしれないし、今いる娘や息子は存在していなかったかもしれない!

 

じゃやっぱ「DIY好きなただのオバサン」になって本当に良かった!!!

 

 

 

めでたしめでたしキラキラキラキラキラキラ