午後の光が食卓テーブルに置かれたコップの中で一輪刺しの茎に絡み、ゆらぎ遊
んでいる。傍らに置かれた写真立てと新聞は父親が昼過ぎまで在宅していた証だ。
父親は工場の夜勤へと出かけていったのだろう。
会話がほぼなくなったとしても、家族の姿があるだけで心落ち着くものなのだろ
うか。古いアパート一階の狭い二間の部屋がどことなくガランとしていた。
タバコ嫌いの妻に気を遣い屋内では吸わなかったタバコが3本灰皿に残っていた
。彼は肩に背負っていた白いエナメルのスポーツバックを畳の上に置き、念の為、
水に浸してから屑物入れに捨て灰皿を洗った。そして、写真立てを仏壇に戻しテー
ブルの花を供えた。
写真立ての中の笑顔は懐かしいあの人を凍らせて留めている。綺麗で優しく腕の
中に生まれたばかりの妹をみつめる愛おしそうな笑顔。幸せがその写真に付着して
いる。写真の中にだけ存在する永遠。ファインダーを見つめた彼の脳裏に染み付い
た不確かな記憶。
その時、本当にあの人は幸せだったのだろうか。
何もわからない小さな小さなあの子の手を握って。
人生の中に消せないキオクの日があるとしたら、その日が彼にとってのソレにな
るだろう。
あの日から既に4年が経っている。
失ったものや失われたものは本当はなんだったんだろう。
元気づけようと奔走し働きかける幼い彼の心と反比例するようにあの人の瞳は沌
さを増していった。
『あんたも死ねばいいと思っているんでしょう』あの人がよくつぶやいていた言葉
だ。
11歳の小柄な彼の体ではあの人を激情を押し留めることはできなかった。
ふわりとロングスカートが14階の窓の外に躍り出た。
あの人は妹を抱いたまま、加速度をつけてアスファルトに叩きつけられた。
瞬間バウンドし地に沈み込んていく体をなすすべもなく彼はそのベランダで震えて
見下ろしていた。
警察官による念のための事情聴取も父子の心を引き裂くものになった。
