爽やかな朝。担当俳優を迎えに来た社は、どう見ても不機嫌極まりない蓮をみてため息を吐くことしか出来なかった。
「おはよう、蓮」
「社さん、おはようございます。」
体裁を保つような挨拶を交わし、社は蓮が運転する車の助手席に座る。
車は事も無げに滑り出す。運転席でなにも言わずにただ前を見て運転する蓮に耐えかねて社は声をかけた。
「蓮、なんだよその不機嫌は?」
「別に不機嫌じゃないですよ?」
「いいや、お前を長い間傍で見ている俺の目を侮るなよ?今朝のお前はかなり不機嫌だ。何があったか白状しろ。」
「…別に…」
「そうか、俺なんぞには言えないか。俺も見くびられたもんだなぁ…。」
あからさまにため息をついて見せる。
「そんな事はないですよ。いつも社さんにはお世話になってますし、社さん以上に頼れる人なんてそうそういません。」
「そんな上滑りなお世辞に騙されるか。現に今お前は俺に白状しないじゃないか?」
「……」
社はちょっとやりすぎたかなと思った。蓮が不機嫌な理由など、蓮から聞くまでもなく解りきっているからだ。わざと本人から聞き出そうという少し意地悪な優しさは加減が難しい。
「…俺、昨日は昼からオフだったんです。」
「知ってる。」(俺がもぎ取ったオフだからな)
「彼女もオフだったんです。」
「知ってる」(それに合わせてオフを取ったのはぉれだからな)
「女子会だったんですよ、昨日。」
「知って…いや、誰が?」
「俺が女子会はしないでしょう?」
「へえ、キョーコちゃん女子会かぁ。あの子も着実に人脈作ってるな。いい事じゃないか?」
「…そうですね…」
「おいおい、素直に喜んでやれよ。あの子、京都から不破に騙されて付いてきてから色々と大変だったんだし、ちゃんと友達作ってるなんて凄いじゃないか。いい傾向だそ?」
「…そうですね…」
相づちを打ちながらどんどん沈んでいく蓮に社はまたため息をついた。
「お前、やきもちか?」
「…え?」
「琴南さんにキョーコちゃん取られて拗ねてるんだろ?」
「そ、そんな…」
「図星かよ、大人気ない。」
「そんな、俺は別に…」
「ほんと、お前素直じゃないなぁ。目の前で琴南さんにキョーコちゃん持ってかれたんじゃないのか?」
蓮の頭に昨日の光景が蘇る。社から別れ際にキョーコがラブミー部の部屋にいるはずだと言われていそいそと部室に向かった。
軽く扉をノックすると中からお目当ての人物の元気な声が聞こえ、ほどなく扉が開かれた。
「はぁい!あ、敦賀さん、おはようございます。」
「おはよう、最上さん。」
「どうぞ中へ。」
いつもと変わらない柔らかい笑顔で迎えてくれるキョーコ。その笑顔だけで蓮の体から疲れがすぅっと抜けていく。
「お茶淹れますね?」
キョーコは蓮をテーブルに座らせると奥にお茶を淹れるために離れる。蓮はテーブルに頬杖をついてキョーコの背中を眺めながら話しかける。
「今日このあと時間ある?」
「えっと、ここの雑用が終われば今日はあがりだと思います。椹さんに確認とらなきゃならないんですけど。」
「そう。」
「敦賀さんはお忙しいからなかなかお休みないですよねぇ?」
「うん。でもマネージャーが敏腕だから意外と休めてたりするんだよ?」
「へえ、そうなんですか。社さんにってやっぱり凄いんですね。はい、どうぞ。」
そういってキョーコが差し出してくれたお茶は独特の香ばしい香りを立ち上げていた。
「俺もこのあとオフなんだ。もし予定ないなら…「キョーコっ!あんたこのあとオフなんですって?」」
蓮の言葉の途中で割り込まれた叫び声。扉がバァンと開かれたのと同時にそう避けんだのは艶やかな黒髪が素敵な美人女優、琴南奏江だった。
「あ、モー子さん。今日はここには来ないんじゃなかったの?」
「後の仕事が天候不良で延期になったからオフになったのよ。あんたもオフだって椹主任から聞いたから、たまには買い物にでも付き合わそうかと思って呼びにきたのよ。」
「えっ!モー子さんと買い物?いくいく!」
「あ…、あの…」
買い物の話で盛り上がりかけた二人に遠慮がちなテノールボイスが届いた。
「あら、敦賀さんいらしたんですか?」
「ああ、お邪魔してます。」
「すいません。私達これから出かけるんであまりお相手もできませんがご遠慮なく休憩してください。」
そう言うと奏江は勝ち誇った笑顔を蓮に向けた。
「ああ、俺もこのお茶をいただいたら出るよ。」
蓮はそう返す事しかできない。
「そうですか、申し訳ありません。キョーコ、あんたまだ繋ぎのままじゃない、着替えてきなさい!」
「えっ?お片付けとか…」
「そんなの明日でいいから早くしなさい。それとも私の気が変わって放置されてもいいの?」
「そんなぁ!モー子さん、置いてかないでぇっ!」
奏江にすがり付くキョーコ。
「ほらっ!きりきり着替える。そして出かけるわよっ!」
「うん、すぐ用意するっ!」
キョーコは満面の笑みで奏江に返事をすると蓮の方に向き直って申し訳なさそうに「あの、失礼じます」と頭をさげて奥に引っ込んでいく。
そんなキョーコの行った方を寂しげに眺める蓮を奏江は哀れみの眼差しで眺めていた。
程なく奥から私服で出てきたキョーコ。水色のブラウスに薄いグレーのギャザースカート、羽織るカーディガンはオフホワイトでおとなしめの雰囲気。そんな姿も可愛いと蓮は目を細める。キョーコは蓮の視線を感じて
「さ、行くわよ。早くしないと欲しいものが売り切れちゃうかも知れないわっ!」
奏江は座っていた椅子からすっと立ち上がり、スタスタと入り口に歩き出す。
「ま、待ってモー子さん、片付けくらいしていかないと…」
「はぁ?あんた急ぐって言ってるじゃないっ!ほら、早くしないと私だけで行っちゃうからねっ!」
「そんなぁっ、置いてかないでぇ!」
「ならきりきり動くっ!」
「でも…」
キョーコはテーブルの上を見て複雑な顔をする。
蓮は軽く咳払いをして提案する。
「…俺が少しやっておくよ」
「そ、そんな敦賀さんにそんな事させるなんて…」
「あ。それいいですね!お願いします!」
「あぁ、楽しんでおいで、最上さん」
「……、はい!」
ぱぁっと花柄ほころぶように笑うキョーコ。その横で奏江はにんまり笑っている。完全勝利を誇る勇者さながらな奏江。
キョーコは蓮に深々と頭を下げて奏江に続いて部屋をでる。
「敦賀さん、すいません。それとありがとうございます。」
「いってらっしゃい」
「はい、行ってきます!」
部屋を出ていく背中がとても楽しそうで、それは可愛いとも思うし蓮自信も嬉しくなる。だが、この部屋にポツンと取り残されている事がとても虚しい。
「俺もこのあとオフなんだよ…」
誰に聞かせるでもなく呟いてひときわ大きなため息を吐く。キョーコが用意してくれた湯飲みを奥のみにキッチンのシンクに置いて部屋を立ち去った。
昨日の事を話ながらどんどん沈んでいく蓮。社はひどく哀れに思う。だがその反面、「お前がへたれだからじゃないかっ!」と言ってやりたい、だが言えない事にがっつりとストレスを抱え込んでしまう。
「まぁ、しかたないんじゃないかな?」
「ええ、解ってはいるんですが、はぁ…。」
「またオフを合わせるくらいはなんとでもなるから、次行こう!」
「…はい。」
なんとも気のない返事を返す蓮。こんな蓮と1日付き合うことに社は少し遠い目をしてしまう。
今日一番の仕事先、テレビ局の駐車場に車を入れて控え室に向かう。二人で歩いていくと『敦賀蓮様』と書かれた扉の前にキョーコがたっていた。
「あ、敦賀さん、おはようございます!」
鈴が鳴るような可愛い声で挨拶をされ、つい今しがたまでどんよりしていた蓮の心はどこまでもすみわたる。
「どうしたの?こんな時間にこんなところで?」
「あの、昨日バタバタと出掛けちゃったんで、お話もできませんでしたから。」
「あぁ、楽しかった?」
「はいっ!それで…」
「ん?」
「なんとなく敦賀さんが疲れたような顔をされていたので…また食事が疎かなのではと…」
「いや、そんな、事は「そうなんだよキョーコちゃん!」えっ?」
社がズイッとキョーコの方に乗り出して続ける。
「最近こいつ本当に食べないんだよ。キョーコちゃんが作ってくれたものならちゃんと食べるんだけどさ。またお願いできるかな?」
「そ、そうなんですね!やっぱりそうなんですね。」
キョーコからギロッと睨まれて少し怯む蓮。
「解りました、私の料理ごときで良ければ作らせていただきますね。では、手始めにこれを。」
キョーコは手に持っていた小さめの紙袋を胸の高さまで持ち上げるとにっこり笑って蓮に手渡した。
「えっ?あっ、ありがとう」
戸惑いながら受けとる蓮に社が『よかったじゃないか』と視線を向ける。
「軽い朝ごはんとお昼の分にちょうどいいと思いまして。社さんの分もありますからよければ摘まんでください!」
「えっ!俺の分もあるの?!」
「はい、敦賀さんと社さんは二人で一人ですからね。」
「うれしいな、ありがとう。俺も蓮のマネジメント頑張るよ。」
「クスクス、社さんほどの敏腕マネージャーさんはなかなか居ないと思いますよ?」
「そうかなぁ、そうでもないよ。もっとしっかり勉強しなきゃ、蓮をハリウッドに送り出せないからねぇ。」
「大丈夫ですよ。敦賀さんの実力と社さんのマネジメントがあれば無敵です!」
テンポのいい会話の最中、二人はなぜか背筋に寒いものを感じて思わず同時に蓮に振りかえる。そこには最上級にキュラキュラした笑顔で立つ大魔王がいた。
「二人ともなんだか楽しそうですね?」
「れ、蓮。俺はお前が快適に仕事をできるようにだなぁ…」
「ええ、いつも社さんには感謝していますよ(キュラキュラ)」
(蓮、怖いから。キョーコちゃんが怖がるからそろそろその顔やめてもらえると助かるんだが…)
「敦賀さん、ダメですよ?」
「ん?」
「社さんを大事にしないともったいないお化けが出ますならねっ!」
「うん、解った。気を付けるよ。」
「クスクス、では私は学校がありますのでこれて失礼します。」
そういうと頭をさげて立ち去るキョーコ。廊下の角を曲がる手間で蓮に呼び止められて振り返った。
「最上さん、ありがとう。気をつけていくんだよ。」
「はい、ありがとうございます。」
そういってふわっと笑った顔は女神のように穏やかで柔らかくて、蓮も社も心臓をい抜かれてその場に立ち尽くす。キョーコはそんな事には気づかずに軽く会釈して去っていった。
「蓮、お前これから大変だなぁ。ライバルは増える事はあっても減りそうにはないぞ?」
「そうですね。社さんがその一人にならない事を、とりあえず今はいのります。」
社は首をすくめてブンブンと頭を横に振った。そんな恐ろしい事を考えたくもないと社は頭の中で叫んでいた。蓮はキョーコから貰った紙袋を大事そうに持って控え室に入る。それからは1日ずっとご機嫌な蓮に社はまた大きなため息を出す事を我慢できなかった。
キョーコのすべてに一喜一憂する蓮。いつの日か、キョーコの心を手にする日は来るのだろうか?
それはまだ誰にも解らない少し先のお話…。