『突っ立ってねえでさっさと座れ、蓮。』

どっかりとソファーに腰かけてローリーは笑った。

蓮はローリーと社に促されてキョーコの部屋からリビングまで降りては来たが、リビングの入り口付近で上の部屋の様子を気にして入ってこようとしない。その様子にローリーは呆れたとばかりにため息をつく。社の方に視線を移すと社は小さくうなずいて蓮に近づいた。

『蓮、今はどうしようもないから。』
背中に声をかけても反応がない。
『…蓮?』
軽く肩を叩くと蓮の体がビクッと揺れて、蓮が小さなため息をついたのがわかった。

『社長が読んでる゜座れって…な。』
『…はい。』

今度は素直に返事を返して、リビング中央のソファーへ向かう。さっきまでと同じ場所に、今度は浅く腰かけて、量膝の上に両肘をついて項垂れた頭を抱え込んでしまった。

『で゛どうするんだ゛蓮?』

ローリーの声はとても穏やかで優しく響くが、今の蓮には厳しい問いかけだ。

『俺はどっちでも構わない。離れたいのならそれなりの場所を用意するし、別に要望があるのなら相談にも乗ろう。お前も最上くんもうちには大事な看板だからな゛特別待遇の大盤振る舞いだ。お前は大事な預かりものだし、最上くんは俺たちの恩人だからな。』

えっという顔で蓮は顔をあげてローリーを見た。ローリーは葉巻をくわえてゆっくりと煙を吸い込んでいる。細くゆっくり吐き出す煙がふんわりと葉巻独特の臭いを伝えてくる。

『預かりもの…ですか?』
『あぁそうだ゜お前の話はまたおいおいとしてやろう。』
『京子さんが恩人…とは?』
『あぁ、あの子がマリアの心のしこりを取ってくれたんだ。たった1日で。松内瑠璃子も矯正しちまったんだあの子は。みんなが手を焼いて、誰もどうにもできなかったのに、いともあっさりとやっちまいやがった。』
ローリーは当時を振り返る。キョーコが想像以上の爆弾になるかも知れないと感じたあの日、そしてその感覚を確実に実現してきたキョーコ。そして、キョーコは蓮を、久遠の闇から連れ出してしまった。そして彼女自信の闇としっかりと向き合い、やっと「本当の自分」を歩き始めた矢先のあの事故…。ローリーも色々と思うところがある。
『蓮、今俺がお前たちに与えた命令が最善かどうかはわからねえ。いたずらにお前たちを追い詰めたり傷つけたりしてるだけなのかもしれない。だから、お前たちが無理だと感じたらすぐに辞めて構わないんだ。』

『……』

蓮は頭を抱えたままローリーの話を聞いていたが、辞めてもいいという単語に反応して身を堅くする。ローリーはそんな蓮の姿を見て、ため息混じりに煙を吐き出した。

『蓮よ゛お前は相変わらずヘタレだなぁ。』

蓮の隣で聞いていた社も思わず苦笑を漏らす。

『嫌なら嫌とはっきり言葉に出せばいいんだ。今の生活が気に入っているならそう言えばいい。最上君に対してだって、そんなに【いい人】である必要もねえんじゃねえか?』

蓮は俯いたままやっとの事で声を絞り出す。

『俺は…そんな…』

『ふん、見てくれがいいからって格好つけてんじゃねえぞ。お前がヘタレでみっともねえ事なんざ、俺も社も琴南君も、もちろん最上君だってすっかり解っちまってんだよ。』

『っえっ…』

驚いて顔を上げ、蓮はローリーを見る。目の前に悠々と座るその姿は自信満々で非の打ち所がない。蓮は助けを求めるように社に視線を移す。すると社は少し困ったように苦笑を浮かべた。

『社…さん?』

『蓮、悪いな。社長のおっしゃる通りだ。俺はお前のマネージャーだから多分一番近くにいて長い時間お前を見てきた。キョーコちゃんと出会う前、出会ってから、ずっと。琴南さんだってそうだよ。彼女はキョーコちゃんの親友だからな。』

『はぁ…』

『もっと肩の力を抜くんだな。好きな娘の前で格好つけたい気持ちは解らないではないが、お前にそんな器用さはねえよ。まぁ、そんな器用さがあったら記憶を失う事もなかったやもしれんがな。俺は【俳優敦賀蓮】を演じろと言った。だが、【人間敦賀蓮】はお前だけのものだ。演じるんじゃなくて、しっかり生きろ。』

「……、はい。」

蓮の小さな返事。聞き取れるか取れないかくらいの小さな声をローリーは拾いあげ、満足そうにゆっくり頷いた。そして、ソファーから立ち上がり、廊下へと向かう。

蓮と社も立ち上がり、ローリーに続こうとするが、ローリーは後ろ手にそれを制して言い放つ。

「俺はお姫様の顔を見て帰る。さっきの話の続きはまた聞くとしよう。だがな、蓮。今度はまず最上君に相談しろ。そして二人で決めるんだな。お前一人じゃなんにもできねえって解っただろうから、諦めろ。」

その言葉を残してローリーは廊下に出た。上の部屋から女性二人の笑い声が漏れ聞こえてきた。

「やっぱり最上君は凄いなぁ。」

ふと独り言をもらし、階段を上がる。ノックをして部屋に入ると二人の女性が笑顔で出迎えた。さっきまで生ける屍のようだったキョーコはその瞳にしっかりと力を宿していた。この娘がいれば大丈夫。ローリーは確信を持った。