蓮とキョーコの事故が報じられてから時間は着実に流れ、巷ではそんな事があったという事実さえ忘れ去られていた。事故当初はキョーコへのバッシングもあり、事務所も対応に追われていたが、それもほんの一時の事だった。何より、蓮もキョーコも事故以前と変わりなく仕事をこなしていたし、それ以降にメディアを騒がすような情報は飛び交わなかった。先日の事故で変わったのは敦賀蓮の好感度がそれまで以上に上がった事と、女優としての京子の評価が格段に上がった事だ。事故自体は不遇な事だったが、結果として二人にとって、そしてLMEにとって、全てはいい方向に進んでいる。いや、そう見えた、表面上は。

実際のところ、二人の記憶は戻っておらず、精神的にかなり抑圧されていた。社長ローリーの暴力的とも思える業務命令によってそれぞれの役柄を演じる敦賀蓮と京子。二人の現状を知る近しい面々は最初、その奇異な対応に否をとなえる傾向だったが、その命令を受け入れ、言われるままにこなしていく二人に感心し、協力し、支えていく中で、ローリーの方針に賛同するようになった。

社はまだ納得できていなかった。長い間蓮のマネジメントを請け負い、蓮との関わりは公私共に一番深い社。社にとって蓮はマネジメントする担当俳優であり、可愛い弟のような存在だ。社はキョーコに対しても彼女がLMEに来た頃からよく知っていた。最初、険悪極まりなかった蓮とキョーコの関係。それが、自分が風邪でダウンしている間にちょっぴり微笑ましいものに変化していた事に驚きと喜びを感じたのを昨日のことのように今も思い出すだけで顔がにやけるのを禁じ得ない。蓮の等身大の表情や仕草に驚き、そんな蓮の一面を引き出したキョーコに脱帽した。そして恋愛音痴と恋愛拒否の高くて大きなハードルを越えて、晴れて恋人同士になった二人を一番近いところで見て、まるで我が事のように喜んだ自分。蓮とキョーコは社にとって本当に大切な家族のような存在なのだ。

そんな二人が記憶を失うという大変な事に局面に至って、『演じる』事になんの意味があるのか、どれ程の負担を伴うのか、まったくゴールの見えない命令に困惑を越えて怒りを覚える程になってしまっていた。だから、社は蓮がドラマの収録をしていて割とまとまった時間離れられるタイミングで゛セバスチャンにフォローを頼んで社長室を訪れた。

記憶ってのはあって当然でない事なんて想定できねえもんなんだよ。」

ローリーはゆっくりした口調で、対面して立ったままの社に話しかけた。

「えっ…?」

「お前、名前はなんだ?」

ローリーは目で社に座るように指示しながら問いかける。

「社。社伸一です。」

社はそう答えると促されるままなソファーに浅く腰かけた。

「仕事は?」

「LMEで敦賀蓮のマネジメントを…」

「そうか。年は?」

「…、あの、社長?」

「ん?」

「今はそんな事を聞いているんじゃありませんが…。」

「そうだな。じゃあ。あいつらに同じ質問をしたらどうなると思う?」

「…っ!」

「そう。記憶があるから自分が何者かも解る。お互いの関係性も立ち位置も。あいつらはその全てを一瞬で失った。そして取り戻せずにいるんだ。」

「…はい…。」

「俺達があいつらにしてやれる事は少ない。お前達は近くにいて直接手を差し伸べる事が出来るだろうが、結局はあいつらが自分自信でなんとかしなきゃならんのだ。だから、俺はあいつらに不自由を与えた。名前とステータスと環境を。至極暴力的に思えるだろうが、」

社は困惑してしまった。ローリーの話す内容を俄に理解することが出来ない。ただただ、自分が思っているよりも事態が深刻なのだという事はローリーの声の調子と表情から読み取れた。
「…どういう…事…で…すか?」

社がなんとか絞り出せたのはこの言葉が精一杯で、ローリーは小さく頷いてから話をるのだった。。