Side 奏江
社さんに連れられて社長の邸宅内にあるゲストハウスにやってきた。あの子に会うのは久しぶり。ラブミー部の部室に唐突に社さんが現れた時にはかなりびっくりしたけど、そういえばあの子のスケジュールの隙間をしっかり熟知していて、敦賀さんへの元気補給のために部室に訪れていたのだから、この程度の事は社さんにとっては何でもないことなのだろう。この人は敦賀さんにとってな、これまでもこれからもくてはならない縁の下の力持ちなのだろうと、漠然と納得してしまう。それよりも、私があの子に会いたくても会えない事情を解ってくれて、わざわざ誘ってくれた事のへの嬉しさと感謝が先だわ。
手土産に生八つ橋を選んで、慣れた様子で社長宅のゲストハウスに向かう社さんの後ろをついきょろきょろしながらついていく。本宅を通らずにゲストハウスに行けるのは、あの子たちが気兼ねしないための配慮なのだろう。ここに来るのはほんの数回だけれど、やはり大きくて無駄に豪華だ。ここが東京都内の某所だなんて、いまだに信じられない。
玄関で呼び鈴にインターホン越しに答えた声は、今あの子についているマネージャーさん。ということはあの子はもう帰宅しているんだ。本当に久しぶりにあの子に会える、そんな気がする。実際にはあの子が記憶を失ってからそんなに長い時間がたっているわけではない。でも、それからの時間の流れはすごくゆっくりで、とても長い間あの子に会っていないように感じてしまう。
そんな事を考えていると玄関扉がゆっくりと開かれて、インターホン越しの声の主が穏やかな笑顔で現れた。
「只今旦那様がお越しになっておりまして、敦賀様はリビングで旦那様と対応中です。最上様はお部屋におられます。とりあえずリビングの方へどうぞ。」
いわれるままに私たちはリビングへの廊下を進んだ。
「あ、キョーコちゃんだ。」
その言葉に視線を向ければリビングの扉のとことにあの子がいた。
「キョーコ。」
小さくつぶやいた声はちょっと上ずっていたかもしれない。素直にうれしいと思った。私は今にも駆け出したいのを必死でこらえてあの子に声をかけようとした......
「キョ‥、えっ?!」
なんだか様子がおかしい。不思議に思って社さんを見ると、社さんも不思議そうな表情を返してきた。
「キョ「京‥」」
もう一度呼びかけようとあの子に視線を戻すと、あの子は一瞬体を震わせていきなり何かに弾かれたようにドアノブから手を放して、その体を後ろに引いた。宙に浮いた右手を胸元にあて、その手をかばうように左手を重ねる。そしてそのままのろのろと数歩後ずさる。すると廊下の壁に背中が当たることで足が止まる。そのまま崩れ落ちるようにずるずるとへたり込んでしまった。その時に見せた教学と恐怖の表情が私の目に焼き付いて、心に突き刺さった。
「キョーコっ!」
声と同時にあの子に駆け寄って崩れて倒れこもうとしている体を何とか支えた。
「キョーコっ!!キョーコっ!」
叫んでしまった。らしくなく焦る気持ちに支配されてまう。
「キョーコっ!しっかりしなさい、キョーコっ!聞こえてるの?キョーコっ!」
いったいなんなのよ、もぉーっ!せっかく久しぶりなのにこんな状況ってありえないじゃない。この子にいったいなにがあったっていうのよ、もぉーっ!
「琴南さん、とりあえずおちついて。」
社さんの言葉にはっとして我に返る。かなり動揺して取り乱してしまった自分にちょっと恥ずかしくなって固まってしまった私の手から、社さんはすっとあの子を抱き上げて立ち上がった。日頃あまり感じない社さんの腕の力強さと、反対に今にも消えてしまいそうなほどに小さく軽く感じてしまうあの子の体が私の不安をこれでもかというほどに煽る。
リビングから出てきた社長と敦賀さん。敦賀さんは社さんがあの子を横抱きにしているのを見て絶対零度
のオーラを出して威嚇したけれど、今は社さんの緊迫感と怒りの方が勝っている。
「緊急事態だ。」
いつも温厚で争いを好まない社さん、
敦賀さんの存在感に隠れて勘違いされがちだけれど、俳優、敦賀連を支える敏腕マネージャーは修羅場で担当俳優を護るために、きっと今のように周囲を震撼させる力の持ち主なのだろう。今はあの子を護る為に担当俳優はもちろん、この場での絶対的権力者である社長をも二の次にしている。
社さんは社長に軽く頭を下げてスタスタとあの子の部屋へと進んでいった。私も慌てて社長に挨拶だけして社さんに続く。全身に怒りのブリザードをまといながらも、抱きかかえたあの子の扱いはとても優しくて、まるでガラス細工を扱うような慎重さだ。その事に安心しながら、同時にそれだけあの子の状況がシビアなのだという事を悟ってしまう。いったい何があったのか......
社さんはあの子をそっとベッドに横たえて、深い深いため息をついた。私は気を失ったままのあの子にそっとブランケットをかけて、乱れた前髪を直してやる。
社さんは気が抜けたのか、そばにあった椅子にふらふらと座り込んでしまった。私はベッドの前に座り込んで、今は小さく寝息を立てているあの子の顔を覗き込んだ。とりあえず、とりあえずは落ち着いた。今の私たちにはそれがすべてだった。