Side 社

キョーコちゃんが記憶と向き合うと決めてからキョーコちゃんも蓮も仕事を抑えめにスケジュールを組んでいる。キョーコちゃんはカウンセリングを定期的に受けながらになるので体力的にも日程的にもあまり仕事をいれられない。蓮はキョーコちゃんに一番近いところにいるし、キョーコちゃんが素で頼れるのは今は蓮だけだから、キョーコちゃんを支えるためになるべく一緒にいる時間を作りやすくするためにスケジュール調整をしている。それは蓮も望んだ事で社長の承諾も得ている。

蓮は夕方にスケジュールをこなして帰宅した。俺は事務所で主任と打ち合わせを終えてラブミー部の部屋に向かった。この時間仕事を終えた琴南さんがそろそろ現れるはずだ。琴南さんはキョーコちゃんの事をとても心配しているが、キョーコちゃんが蓮と社長の邸宅にいる事で自由に様子を見に行く事が出来ない。それにキョーコちゃんが仕事をセーブしているからラブミー部で一緒に過ごす事も少なくなった。たまに会うと「キョーコはどうしてますか?」と必ず聞かれる。琴南さんも最近は仕事が増えているからなかなか都合が合わないようだし、いつも傍にいる蓮の出前、頻繁に連絡を取ることも憚られる。俺がこんなふうに動ける時くらいは琴南さんをキョーコちゃんのところに連れていってあげたい。キョーコちなんも琴南さんている時は楽しそうだから無駄なお節介じゃないと思う。 

手土産の生八ツ橋をぶら下げて社長宅のゲストハウスに向かう。本宅を通らずに直接ゲストハウスに向かうことを許されている俺はゲストハウスの玄関で呼び鈴を鳴らした。程なく応対してくれるインターホン越の男性の声。
(あれ?蓮じゃないんだ。この声はセバスチャンだ。という事はキョーコちゃんもきたくしているんだな。)
そんな事を考えながら少し待つと扉がゆっくり開かれた。

「只今旦那様がお越しになっておりまして、敦賀様はリビングで旦那様と対応中です。最上様はお部屋におられます。とりあえずリビングの方へどうぞ。」

穏やかで柔らかいセバスチャンの声がそう告げた。俺達は言われるままにリビングに続く廊下に足を向けた。

廊下を進むとリビングの扉の前にキョーコちゃんの姿があった。

「あ、キョーコちゃんだ。」
「キョーコ。」

となりで小さくつぶやかれた声は明らかに喜びの感情を表していた。

「キョ‥、えっ?!」琴南さんの声が凍り付く。

キョーコちゃんはリビングの扉のドアノブに手をかけて扉を開こうとしていた。でも、ちょっと入るのをためらっているような感じを受けたので琴南さんの法を見ると、彼女も不思議そうな顔で俺の法を見ていた。

もう一度キョーコちゃんに視線を移して呼びかけようとした。

「キョ「京‥」

キョーコちゃんは一瞬体を震わせていきなり何かに弾かれたようにドアノブから手を放して、その体を後ろに引いた。宙に浮いた右手を胸元にあて、その手をかばうように左手を重ねる。そしてそのままのろのろと数歩後ずさる。すると廊下の壁に背中が当たることで足が止まる。そのまま崩れ落ちるようにずるずるとへたり込んでしまった。

「キョーコちゃん?」きっと俺の声はへんに裏返っていただろう。

「キョーコっ!」

気が付くと琴南さんがキョーコちゃんに駆け寄って崩れ落ちるキョーコちゃんの体を抱き留めて支えていた。

「キョーコっ!!キョーコっ!」

琴南さんの必死な声が廊下に響く。

「キョーコっ!しっかりしなさい、キョーコっ!聞こえてるの?キョーコっ!」

琴南さんの焦りながらの叫び声に俺は遅れて我に返って二人の元へ駆け寄った。
「琴南さん、とりあえずおちついて。」

はっとしておとなしくなった琴南さんからキョーコちゃんを受け取り、横抱きに抱き上げて抱きあがる。(うわ、軽いなぁ......)その心もとないほどの軽さが今のキョーコちゃんの儚さを如実に物語っているようで、のど元に苦いものが込み上げてくる。

ちょうどそのとき、廊下の騒動を聞きつけた蓮と社長がリビングから出てきた。蓮は俺たちの姿を見て一気に絶対零度のオーラをまとったが今は俺の怒りの法が優っている。
「緊急事態だ。」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。蓮の隣に立つ社長に軽く頭を下げてキョーコちゃんを部屋へと運んあd。今の俺に礼儀や挨拶を求められてもこれが精いっぱいだ。後で社長に礼儀知らずとか非常識といわれても構わない。今の俺は怒りを抑えながらキョーコちゃんを守る事に神経を集中している。

キョーコちゃんをいつも使っている寝室ではなくキョーコちゃん用の部屋のベッドに横たえて、俺は一年分くらいの深いため息をついた。