自分の必死の呼び掛けに蓮が全く応えてくれない事に耐えきれず、とうとうキョーコは蓮の膝の上に泣き崩れてしまった。キョーコが流す涙は蓮のスラックスを濡らし、キョーコが必死に握って揺さぶるので蓮の服にはシワが出来る。だが、そんな事を気遣う余裕すらキョーコにはなかった。ただ蓮の膝に顔を埋めて泣く。小さな声で「敦賀さん、敦賀さん…」と繰り返す事しかできずにいた。
蓮の左手がすっとキョーコの頭の上に乗る。キョーコは弾かれたように顔をあげて蓮を見上げる。蓮の瞳はまだ何も映していない。がその左手がゆっくりとキョーコの髪を撫でる。「つ…る、がさ…ん?」と問いかけると蓮の瞳に少しずつ力が戻ってくるように感じた。真っ白だった顔に少しずつ血の気が戻るのが解る。
蓮の手はゆっくりキョーコの髪を撫で続けている。
「ないてるの?」と本当に、本当に小さな声。「いいえ、泣いてないですよ?」またぶわっとキョーコの目から涙が溢れる。蓮はキョーコの頭を撫でていた左手で頬に触れ、親指で涙を拭いながら「…なみだ」と呟く。
「嬉しいんです。敦賀さんに会えて…。」「そう…なの?」「はい、凄く嬉しいです!」キョーコは溢れる涙を拭おうともせず、蓮の左手を両手で包み込むように握りしめて蓮を見上げた。
「敦賀さん」「ん?」「ありがとう」「うん」「お帰りなさい」「…ただいま」
キョーコはまた蓮の膝に顔を埋めて涙を流す。蓮は右手でキョーコの髪を撫でてやる。蓮はまだぼんやりした感じだったがじっとキョーコを見ていた。今まで『敦賀蓮』が見せた事のない表情。なんとも幸せそうな、慈しむような、老若男女問わずに溶かしてしまう程の眼差しにそこにいた皆が絶句する。誰より早く我に返って社が蓮の肩に手を置いて話しかける。
「さ、一度部屋に戻ってから仕事だぞ。」「はい、解りました。」
社に向けられた蓮の顔はいつもの『敦賀蓮』で、社は無言で頷く。
「キョーコちゃん、大丈夫?」と声をかけながら顔をあげさせるとキョーコはまだ涙を流しながらも満面の笑みで応えてくる。そんな気丈なキョーコに周りは一様にほっとした。蓮はキョーコを立たせて、キョーコはそれに従って立ち上がる。が足元がおぼつかずにフラッと倒れかかる。それを蓮がしっかりと受け止める。「ご、ごめんなさいっ!」と慌てて離れようとするキョーコをもう一度抱き直して蓮が伝える。「本当に、ありがとう。」
そして爽やかな朝が始まる。