サイド蓮

俺は何とか『敦賀蓮』を演じながら内に密かな怒りを燃やしていた。テーブルの向こう側でキョーコちゃんのキューティーハニースマイルにやられた貴島くんが固まっている。新開監督はその様子を面白そうに眺めていたが「朝からお熱い事だな。」と左手を団扇代わりに自分の顔を仰ぐ。他人から見ればカップルのじゃれあいにしか見えない光景なのだ。「そ、そんなつもりじゃ…」とキョーコちゃんは真っ赤になって俯いてしまう。監督はクスクス笑っている。貴島くんは頭を掻きながら苦笑い。朝食時の凄く穏やかな時間が流れている。ちょっと待てよっ!キョーコちゃんの哀願する顔もキューティーハニースマイルも、真っ赤になって俯く仕草も怒り顔も今まで全部俺が独占してきたキョーコちゃんだ。なのに今、キョーコちゃんは俺以外の男に惜しげもなくコロコロと変わる表情を晒している。しかもその会話の中には俺だけ入る余地がない。俺だけが違う世界にいる。同じ空間に一緒にいるはずなのに俺だけが笑えない。俺が居なくてもこのテーブルの会話は弾んで、時間も空間も何一つ歪んだりしない。いや、俺がいない方が全てがスムーズに穏やかに流れていくんじゃないだろうか。
『ここにも俺の居場所はないのか…』小さなため息も出ない。『またか、仕方がないな。』とあっさりと諦めがついた。この感情には覚えがある。どんな状況だったかは覚えていないが、今のような気持ちに任せて闇に堕ちてしまった事がある。だめだと思っても、もう自分では止められない。目の前で繰り広げられる会話はだんだんと遠くに聞こえる。視界も狭くなる。『お前に居場所なんてないんだ』と頭の中で声がする。『あぁ、解っている。その通りだな…。』とその声に応えると俺の感覚はどんどんうすらいでいく。何故だか解らないが多分このまま『無』に近づいていくのだろうと感じた。不思議と怖くはない。嫌でもない。ただ、成り行きに身を任せるだけだから…。