All the World's a Stage


こどものひと。

さてさてさて。相も変わらず、落っこちたり上がったりしながらやってます。
悲しかったり考えたり感動したりして一日一回は泣けてます。すごいなそれー。泣き日記が書けます。
感情が表面にひょっこり出やすくなったのと、自分の感情スイッチというものが大分分かってきたのだなー。多分よいよいことでしょう。
うーん。それにしても昨日の日記との違いがあまりに可笑しい。昨日の泣きスイッチはモリムラルミコさんの詩集でした。いつも価値観がぶれそうになると帰ってくるのだなー。新しいやつも欲しいなー。
今日はとってもよい感じです。地に足がついている!目がしっかりしてる!
American Politics(アメリカの政治)のクラスでね、今のところの課題とテストの合計で、クラスでトップの成績だよっていうのを教授におしえてもらって、それだけで色々ぶっとんで、単純だなぁと。^^ほほほほ
ご褒美に、食堂で久しぶりにオムレツを食べたのです。あれ、作れるようになりたい。
あと、また今日からバレーボールがはじまったのです。夏の間大学内の芝生の上で、夕方インターナショナルスチューデントが集まってやるの。地味~に、一年間随分と楽しみに待ってたのです~。
もうバレー楽しい楽しい。たまらんたまらん。そして気持ちいい~。リノの夏の夕方が本当に好き。
バレー、去年、日本人の先輩がやってるところに最初少しいったけど、なんかだめですぐ行かなくなって、でもなんかたまに無性にやりたくなって、もんもんとしながら、あっという間に一年が過ぎていたのです。
バレーをやると誰かに頼られるから、ほんとに好き。ただ阿呆みたいにボール追って、転がるの楽しい。
一年ぶりなのにスパイク打てたー!サーブも自分のサーブだー!意外といけるものですねー。足もう痛いけれどw 
中学の時は部活でキャプテンとしてやってたんだよなー。もう一つ一つの試合だとか合宿だとか、何話してたのかとかってあんまり思い出せない。でも、夢中になる瞬間がすき。何も考えないけど、体が動く。声が出る。
高校の時の体育祭?で毎年バレーで出るのもすっごく楽しみで楽しみで仕方なかった。体育の時もみんなでよく、すんごくよく笑ったなー。懐かしい。東京帰ったら、バレーやりたい人見つけて集めてやろうかなー。インターナショナルがいいなー。

サウジの子たちに混じってやってたんだけど、もう楽しい楽しい。去年も思ったけど、ほんと彼らのまっすぐなおばかさというかw純粋さがたまらなくすき。そしてバレーもレベルが高くて、白熱するから楽しい。友達同士でしょっちゅうアラビア語で話し始めるからおいおいおいってなることもあるけど、なんていうんだろうなー。ほんと子供と接している気になるっていうか、開放されるっていうか。なーんも考えなくて、ただただ笑ってる。すごいよなー。喉がいたいぞー。人と関わっていくの、ぴたっとならないと難しいことも多いんだけど、こうやってただ楽しめる相手もいるんだーって思うとすっごい嬉しい。
思い返してみると、こっちきてから仲良くなった子もそうだし、今までもそうだけど、仲良くなれた子っていうのは、大抵子供っぽい子ばっかり。(とーってもいい意味でね。)前も似たようなこと書いたけど。まっすぐぶつかってきてくれる。ただの個として。あんまり”意味のある”話をしなくても全然大丈夫な人。気を使われてしまうと、それが素敵な気でも結構ひるんでしまう。それかぐるぐるいっぱい内側で考えてる”意味のある”話がいーっぱい出来る人、言葉がきちんと伝わる人。どっちかが多いと思う。どちらもっていうことも。というかどちらもな人がほとんどだ。前もちらっと思ったのだけど、どちらにしても一対一で出会った人、付き合い始めた人は深くなれる。団体行動がいつまでも、最強に苦手だー。

中学の時はある程度あったけれど、高校以降は”複数の人間関係”で悩んだことってびっくりするほどないんだよなー。それは周りの環境が恵まれていたこともあるんだけど。相手が他の人と仲良くしていて嫉妬や不安になったり、一対一の喧嘩だったり、私が勝手に話せなくて無視を決め込むことはあったりしましたが。。。ぶひ 色々悩んだりもするけど。誰かと誰かの関係がにゃーうーだとかならないなー。というか、嫌で避けているだけだったりするかも。。。おもしろい。
こないだある人に、グループにいるの嫌なのに中々離れられなくて苦しい。あの人があーで、その人がうーだ。いつも一人でいれる実可子がうらやましい。って言われて。そういう話をするのもすーっごく久しぶりだったし、最初全然言っている意味がわからなくて自分にびっくりした。そうか。そういう事で悩んでる人もいるんだよね!ていうかきっといっぱい!みんなで一緒にいるときって一体みんな何を話しているんだろう。。あんまりそういう悩みを聞いたりすることもないから。恋愛話も似たようなかんじかも。話されても結構そうなんだー、しか言えない。。。w その人に対して興味がないわけじゃないと思うんだけど、その人のが持つ外の関係にあまり興味がわかないのかな?不思議ーって言われて、あーほんとだー不思議だーって。それなりに、社会的に生きているつもりなのだけどw基本的は一対一の関係なんだなー。それが私には合ってる。
タイやインドの写真を見た人からは「子供好きなんだねー」って言われたりもしたけど、子供が好きっていうのってよくわからないなーって思う。ただ、求めてくれるから、ただただ一緒にいて笑って、うおー生きてるって思えるから、タイにしてもインドにしても一緒にいた時間が、愛おしくて愛おしくて仕方なかっただけで。子供が好き?そうなの?なんだろうそれ?って思ってしまう。
お父さんにも言われるけど、私は自分がすごーく大人だって思う時もあるし、すごーく子供のままなところもかなりある。めちゃくちゃ恥ずかしい位汚くて醜いと思うときもあれば、もう誰よりも何より純粋だ!って思うときもある。根から暗めなところがあると思ってみたり、でも根はすんごい明るいとも思うし。希望があふれて無敵状態になるときもあるし、絶望と不安だらけで動けなくなるときもある。どっちが自分だ?なんて愚問はしないけど、おもしろいなー。よくもう一人の自分がいてくれたらどんなにいいんだろう、って思ってみたりもするけど、いたらいたら、友達になれるかな。w ものすごくめんどくさそうだし、扱いづらそうだなぁ。w でも、がんばって時間をかけて分かり合いたいな。

こないだのほぼ日で「人間はみんな子供の姿が本物」みたいなコラムがあって、ふむふむ、と思いつつ、どうなんでしょう、と。私はなんだかんだで大人ぶっていたり賢しこぶりたがりな私も好きだし、でもやっぱりこうやってぱぁーと開放されて子供みたいにただただ笑うのも気持ちいい。どっちもやっぱりいいなー。
読んでからたまーに、子供の頃の自分に襖の向こうからじーっと見られてるような絵を想像してみたりする。
最初にストッパーをかける自我が生まれたのっていつだったんだろう。小学校4年生のころにあったのは、確実に覚えてる。ううん。幼稚園のころに持った苦しさもなんとなく覚えてる。全学期にRole of Playという授業で子供の成長について少しかじって、忘れてしまいがちだけど、幼稚園とか、もうもしかしたら生まれてすぐの頃から、きちんと色んなことが”分かっている”のだよなぁ。人の態度、気持ちの温度だとか、感じて、自分の中で落とすことだって出来るはず。人間だけじゃなくて、動物もかなり一緒だと思う。
馬鹿にしちゃだめだし、わかってないと思って”気”を抜いて接したら、お互い間違ってしまう。
うー、また何を話していたか、わからなくなってきました。
よく”ずっと子供のように”生きよう!とか”一生笑って幸せ暮らそう!”とか見栄えのいいスローガンのような言葉を聞くと、どうしても薄ら寒くなってしまう部分があるのです。めちゃくちゃポジティブな人とか、すんごいんだけど、怖くなるなぁ。ありゃ、何が言いたいのだろー。凝縮された人だったり言葉が怖いと思うことがあるってことです。文章もそうだけれど、出来るだけ伸ばしたいのかも。それで具体的に、嘘のないように。でもシンプルの強さもすごいと認めている。

未来を考えようとするときは、過去のこともセットでやってくるもので、色々思い出してみるものです。20年という積み重ねの中で、全然何もしてこなかったような、それともたくさんのものが詰まっているような。どっちも思う。
一番恐ろしいのが、過去も現在も未来もぜんぶ自分にひっかかっていないように感じるときです。本当に自分のことなんだっけ?って。不思議な浮遊感が恐ろしいときもあります。色んなこと感じ過ぎなのか、それとも何にも感じれてなくて、すりぬけていってたのかな。という。安定している時に特に感じる、浮遊感。こういう風に自分であとで読み返しても不思議だなーと思うような文章を淡々と書いている自分が不思議だー。自分が自分じゃないような感覚。今学期
すごく増えました。これは目標である、”自分”と思える幅を広げることに繋がってるのかどうか。。。

あの日みた花の名前を僕たちはまだ知らないっていうアニメを見ているからかもなー。私の歳ってちょうどど真ん中な気がするんだけど。10年前。色々スイッチはいりやすくなっているのかな。
こっちに来てからなんだかんだで結構アニメを見てたりします。先週くらいからARIAっていうアニメ(こういう作品を見ると、優しい文化もすごい好きだって実感する)を一日一話みてがんばろーキャンペーンを始めたばっかりなんだけど、そんな時に声優の川上とも子さんが亡くなったっていうことを友達に聞いた。そのARIAにもメインキャラクターの一人だし、ケロロの冬樹役で勝手にすごく身近に感じていたり。仕事の話をほとんど滅多にしない人なのに、川上さんの休養のことはすごく心配していたし。。なんでか分からないけれど、ものすごく悲しかった。だからなんだ、かもしれないけど、書いておきたいなって思った。

こないだ、マイミクさんが私の文章を日記で誉めてくださっていて、「熱にうかされているような文章」っていう言葉があまりにも的確でしっくりときた。構成とか着地点とかなーんにも考えてないで書いてるからなー。たまに書きたいトピックがあると、その周りに留まれるけど、大抵は一つ書きたいことがあって書き始めて、あとは本当に適当だったりします。これだけ流れに流れてる日記も中々見ない気がする。計算用紙的日記。きちんと伝わるような文章の書き方を手に入れたいと思うけど、同時に恐ろしいな。
頭の中見てみたいなんて言われたこともあったけど、一日もももーんと考えていることをこうやって文章にしたらどうなるんだろう。頭の中に2人くらい、記録係の小人でも雇いたいです。でも、そんな考えているわけでもなさそう。課題とかで”しっかり考えて”書くと、普段いかに物を”考えていない”か、唖然とします。考えると感じるの境目が溶けちゃった気分。いいのかー。いいのだー。書くことが好きで、読むことがすきで、物語が好きなら、自分で小説を書こうと思ったことはないの?って前に一度だけ聞かれたけど、全く考えたこともなかった。うーん、想像したことはあったけど、こないなぁ。小説を書く人には興味満々なんだけれど。一体どうやって生きているんだろう。

そんな訳で、またなんのまとまりもない、日記でした。すっきりすっきり。こうやってぐちゃぐちゃ何でも書くのってどうしてこんなに気持ちいいんだろう。自分だけしか見ないわけではなく、誰かが見てくれること前提だからこそのワクワク感もある。なんだろう~その源は。前に高校生の時に書いてた文章を見たら、最近の文章と違いすぎて!
こういう書き方をしだしたのは何時頃だろー。ほんと書いているとあっという間に時間が経つな~。ちなみにこれは約50分で書いた。初めて時間を意識しながら書いてみた。こうやってある程度絞れ出せたあとは、小宇宙にでも放り出されたような気分になります。結構なにをする気にもならない。ほいっと。家に今インターネットがないから、実際更新するのは明日の朝になるけれど。あー、いつも締めの言葉のストックがまるでありません。。。なんかないかなー。ちきりんさんのそんじゃーね、とか大ちゃんの誰も聞いてないよね。とか。なんか考えておこう。

とりあえず、そんなこんなです。