みなさん、こんにちは
久し振りのMikaです
みなさん、お元気にされていますでしょうか?
各国がコロナから明けようとしている昨今、日本はまだまだ科学的根拠を無視した政策を行っていますね。
そんな中、私驚いたんですが、日本はタイ政府保健省に「Covid-19対策支援」をしていました。
これ自体は国際協力の一環として大切な取り組みだと思いますが、タイから教わるために来ていたのかしら?と嫌みの一つでも言いたくなる日本政府の体たらくです。
タイはさっさと海外からの渡航者PCR検査を撤廃し、7月からは一時的に設けていた簡易の入国ビザのような制度(Thailand pass)を廃止します。
要するに、日本より早くコロナをエンデミックと再定義して規制を緩和する方向です。
現首相のヨーロッパ諸国訪問の映像も物議をかもしましたね。外国ではマスクを外し、日本に帰国したとたんにマスクをつける。こういうのを「ダブル・スタンダード」の典型と言うのです。
今日は、この様な事象に代表される「ダブル・スタンダード」について考えてみたいと思います。
なぜか?
このダブル・スタンダードが、組織を混乱させ、人を疲弊させる原因の一つだからです。
その延長にある問題として、人と人とのコミュニケーションを歪めさせ、大切な日本の国民が心を病むきっかけになっていると推測しています。今回のコロナ渦やポリティカルコレクトネス風潮は、まさにこの「ダブル・スタンダード」だらけですので、良く考えて現象を捉える必要があります。
「ダブル・スタンダード」
良く「ダブスタ」などを略されて語られる事が多いですね。
- 「Double standard」
- a rule or standard of good behaviour that, unfairly, some people are expected to follow or achieve but other people are not:
(不平等に、ある人たちに対しては従うべきもしくは達成すべき、ある人たちに対しては従うべきもしくは達成すべきとは期待されていない、良いとされる言動(態度)とするルールもしくは基準)
- the habit of treating one group differently than another when both groups should be treated the same:
(双方が同じように扱われるべき時に、一方のグループを他方のグループとは異なって扱う習慣。
英語で書かれた定義を忠実に訳そうとすると、ちょっと複雑に聞こえてしまいますね。
ケンブリッジ辞書では2番の定義が理解しやすいかもしれません。
「ある一定の人の集団を扱う」時に、「同時に異なる基準や習慣」を持って「人や物事を扱ったり判断したり」する事、のようだと理解できそうです。
では、日本語の辞書ではどう定義されているでしょうか?
- 「ダブル・スタンダード」=「二重規範」「二重基準」
- Google=Oxford辞書
同じ事柄を、二つの異なる基準で評価すること。二重基準。
- 日本国語大辞典
仲間内と部外者、国内向けと外国向けなどのように、
対象によって異なった価値判断の基準を使い分けること。
日本語の定義はやはり理解しやすいですね。
「二重規範」とか「二重基準」という漢字を見ただけで言葉の持つ意味が分かるのが日本語の凄いところです。この先の文章では、ダブル・スタンダードを「二重基準」と表現します。
日本語と英語の両方から分かる事は、
「判断基準が2つあって、本来は同等に判断されるべき事象に対して、片方は許されて、他方は許されないなどの不平等や不当な価値判断で扱う事」と理解できそうです。
私は、組織や活動などの運営、加えて人同士のコミュニケーションにおいても、
この「二重規範」は慎重に精査し、排除する事が望ましいと思っています。
もちろん、国政においては言わずもがな、です。
私の経験
私の経験を振り返ってお話します。
私が以前所属していた組織は、この「二重基準」が横行していました。
ある人は組織創設側に近い人間、ある人たちは後に就職してきた人たちと何となしに境界線のある組織でした(私は後者側)。組織創設側に近い人が意思決定に関わっている事が多く、その人たちが持つ価値観で色々と判断される中で、今まで慣習的に採用されてきた手法や運営方法が、私には適応されなかったのです。
私は理由を聞きましたが、当然整合性のある説明はされず、
「●●さん(私)はまだ信用されていないってことなのだと思います」と言われただけです。
「信用されない人間が管理ポジションについたら違う基準を適応されて、信用されるとされる人間にはそうでない基準が許されるって、おかしくないですか?」と聞きました。
加えて「信用されるとかされないとかって、誰の判断に基づいているのですか?」とも。
活動に関わる判断でも、この様な不合理な状況は現場の士気や円滑な運営に影響しました。
現場の判断では、時間的に組織の決済を待てない事が殆どなので、実際のオペレーションではリーダーの判断範囲が広がる場合が多いですよね。
私は基本的な組織の体質を理解していたので、プロジェクトとして出していたSOPと言われる運営基準書できちんと通常のプロジェクト運営と支援活動中の意思決定ルートを分けて決めており、この手順書の適応に最終決裁も取り付けてありました。
ところが組織で採択された基準書があるにも拘らず「今回はこの決済ルートで最終判断を伺って下さい。」と手順書にない事を言われる訳です。
極めつけの経験は私にとって非常に大きな教訓になったものでした。
私の在職中の後半に、他の大手企業の雇われ社長まで上り詰めた男性が退職後に団体のボードメンバー兼副事務局長に就任しました。
彼は、企業戦士として何十年も色々な競争に勝ちトップまで上り詰めたのでしょう。
彼は、言葉巧みに組織幹部やプロジェクトリーダーの信頼を取り付け、組織運営に大きな影響を持つようになりました。公正に表現すると、彼の手腕を使って団体の信頼を勝ち得た、とも言えます。
最終的に、私は彼の影響によって組織を離れる決断をしたのですが、彼の口癖は「人を信頼してはいけない。組織では誰も信用するな。私の事も疑え。人は他人のはしごを外す存在だ。」です。
大先輩と尊敬していた彼の口から出たこの言葉に、私は絶句しました。
最初は、「この人は色々な人に裏切られて、そして裏切って、ポスト争いを勝ち抜いて来たんだろうな~」とぼんやり考えていました。
ところが、段々彼の言動に「二重基準」を感じるようになって来ました。
一方では「私はあなた方の見方だ。だから信頼されるリーダーとしてプロジェクトを盛り上げてくれ。」と言いながら「私を信頼するな。大人を信頼するな。」と言う訳です。
これ以来、この人は、ある部分では「味方」として判断し、ある部分では「裏切る」判断をする、
と言う事ですよね?と思い始め、最終的に私は「これは恐ろしい事が組織で起きている。二重規範によって人を扱う事が常態化している。」と悟ったのです。
「アンビバレンス」という言葉もありますが、これは恋愛感情などの心理状態を示す心理分析に使う用語だそうですので、「二重基準」の様に同時に2つのメッセージによって人を追い詰める事とは区別できそうです。
世界で起きている「ダブルスタンダード/二重基準」
翻って、私たちが今経験している世界情勢ではどうでしょうか?
一番分かり易いのは「SDGs」です。
いわゆる「持続可能な開発目標」ですね。
そもそも、開発目標が持続可能である事が二重規範なんですけれどね(笑)
世界はほぼ気が付き始めています、このコロナ騒動で。
今までの歴史でも欧米列強がこの1世紀にどうやって弱い者たちから経済搾取を行って来たか、を。
ですので、国連による開発目標とは、永遠に課題を解決せず、国連の既得権益を守り続け、世界のいわゆる「Authority」で居続けることが目的なのです。
口先では多様性を認めるべきだと言いながら、勝手にアジェンダを設定して世界を統一した思考に導こうとする・・・、日本の文化が「排他的・男女平等ではない」とか決めつけて、これって、二重基準の最たるものと言えませんか?
日本には日本の文化から受け継がれた伝統とそれに基づく日本に適合した価値基準があるのです。多様性を認めろ、というなら各国の文化にがたがた文句を言うべきではありませんし、世界統一基準なんて設ける必要はありません。
ジェンダーフリーとか言って、スポーツ競技にトランスジェンダーの参入を許した結果、何が起きましたか?体格差で女性が叶わない「女性の性を持つ男性」が入ることで、女性の権利が奪われています。これは男女平等の理念と相反しています。
偏った「多様性」という言葉を社会に強要する結果、本来の権利や能力が奪われる人が出る事、また逆に奪ってしまう側に立つ事については全く考えないのです。
この様な価値観を「先進的」と勘違いして飛びつく人は、良く考えて下さい。
当事者になって考えるのです。
コミュニケーション上の「二重基準」を見抜く
私がこの「二重基準」について書きたかった本当の目的は、
身近にあるコミュニケーション上、そして職場、組織の体制にこの「二重基準」がないかどうか、
についてセンスを持っておく事が意外に大切なのではないか、と言う事です。
何か居心地が悪い、話がかみ合わない、自分らしくいられていない気がする・・
その時は、周りのコミュニケーション上にこの「二重基準」がないかについて感じてみて下さい。
そして、自分がどう考えるか、何が正しいと思うのか、という「自分の軸」を醸成させていくのです。その過程では、色々とつらい経験をするかもしれませんが、自分の軸が固まると、つらい経験は消えていきます。
私も含め、人は自己防衛に走る生き物です。
その為にも「二重基準」を出来るだけ排除し、
その様な環境を見抜き、自分の軸を育てる事に専念する・・・。
私は、こうして日本の皆さんが強くなっていく時代に来ているのかな、と思っています