こんにちは!

 

みほりの日記へようこそ!

 

離婚調停の間、娘を育てるのに

何か資格の必要性を感じました。

 

でも、資格と言っても、沢山あり、

資格を取っても、自分の仕事に生かせなければ意味がありません。

 

私は「もう、男はこりごり」と言う、気持ちと

「娘は、私がしっかり育ててみせる」との思いしかありませんでした。

 

 

悩んだ末、母の従弟にあたる、医学部予備校を

経営している、叔父様に相談をしてみました、

 

すると「今、妹が名古屋で、接骨院を経営していて

女性が珍しいから、すごく流行っているよ。

小さい時には、医者にも見えるし、国家資格で職業としては

恥ずかしくないと思うよ。」と、教えてもらい

 

私は気持ちが決まれば、猪突猛進タイプ。

接骨院の仕事がなにかもわからず、受験することに。

 

父・母に3年間勉強したい事を伝えると、

父より「そんなことをして、出来なかったらどうするんだ。

今までのように、事務職で働いてればいい。」

 

でも私の中では「事務職で働いていて、若い時は良いかもしれないけど

歳をある程度とっていくと、邪魔にされるところを見てきた」

 

事を告げ、反対を押し切って、受験勉強に取り組みました。

 

この時は、妹が借りてくれた、雇用促進住宅で、

テレビも、冷蔵庫もなく、あるのは私の勉強するためと食事をする為の

小さな机だけでした。

 

でも、祖母が一緒に居てくれて、娘0歳を、私が勉強する2時間も

おんぶしてくれて、周りは田んぼだけの所を散歩しながら

「今日は、梅が咲いていたよ」

「今日は、鯉を見てきたよ」

と、75歳の祖母に感謝・感謝です。

 

又、周りに買い物するところが無い為

母が週に何回か、来てくれて

冷蔵庫が無い為、缶詰等を買ってきてくれました。

 

そんな生活でしたが、今思えば、

未来に希望を持ちながら、娘と祖母との3人暮らしは

楽しいものでした。

 

何もないけど、窓から高速道路が見えて、

休みの日には、沢山の車が行き交うのを見ながら

「絶対に、成功して、娘と祖母と一緒に旅行に行こう」

 

と、心に誓っていました。

 

又、娘の成長をみれる事も、受験勉強に力が入りました。

寝ていた状態から、寝返りを打つようになり、

ハイハイが出来て、机につかまって立ち上がろうと

 

一生懸命にあきらめず1日中行ってる娘をみて

微笑ましく、「私もがんばらなきゃ」と

思えるのでした。

 

この間、友達たちが、娘の為に

下着や洋服のお古をたくさんいただき

又、おもちゃや、三輪車等々

持ってきて、時には、お弁当迄買ってきてくださり

 

(勿論、中学からの友人は毎週来てくれました)

 

本当に、感謝・感謝でした。

 

 

でも、この後大変な現実を突きつけられます。

 

次回をお楽しみに