退院し、家に帰ってきた!!
やはり家が一番だ。。
傷口自体はそこまで痛く無いのだが、
家の近くにスーパーがあり、歩いても数分で着く距離、
いつもは赤子を抱っこしつつ、
重い荷物をもっても余裕なのに、
手ぶらでスーパーに行って帰ってくるだけで
すっごく疲れた。。
家に帰ってきてすぐ横になった。
やはり体力がものすごく落ちている。
ちょっと歩くだけでしんどい
ここまで体力が落ちるとは。。
そして体重が三キロくらい落ちていた!
1週間だけの入院だったが、まったく動かず、
米の量だけが大盛りの病院食、
それだけでこんなにも体重が落ちるなんてびっくり!
まぁ筋肉も落ちたからかな。
退院後は、母が毎日来てくれ、家事や下の子の抱っこをしてくれた。(抱っこ紐をつけると、傷口にあたり痛くて抱っこ紐できなかった)
ありがたい
そして2週間後、夫と2人で病理結果を聞きに行った。
良性でしたと、淡い期待をしつつ、あまり緊張はしていなかった。早く結果を聞きたいと言う方が大きかった。
診察の順番になり、呼ばれた。
『病理結果なんですが、やはり癌でした。』
「あぁ、やはりそうだったんですね」
『リンパ節にも転移はやはりありました』
『後は、病理結果でわかった事がもう一つ。
こじろうさんの場合腎臓の癌の種類がすごく希少な癌の可能性があります。』
先生の顔がすごく真剣で、私も何を言われるのか怖くて手に汗握り、心臓はバクバクでした。
『基本的には腎臓の癌の種類の大半は、淡明細胞癌というものです。その他に、乳頭状腎細胞癌などがあるのですが、こじろうさんの場合、
遺伝性平滑筋腫腎細胞癌の可能性が出てきました。』
『日本でも100例ほどしか症例がありません』
私は、よくわからなかったが、とりあえず結果は最悪だし、悪いものだったんだな、というのだけわかった。
ただこれだけじゃなかった。
『それと、こじろうさん、お子様が2人いらっしゃいますよね??』
ドキっとした。
先生が、紙に遺伝の図を書きながら、ゆっくり丁寧に説明してくれた。
先生が言うには、この病気は、遺伝性のものだから、子供に遺伝する可能性がある事。
そして50%の確率で子供に遺伝していると言う事。
先生の話を聞いて絶望的だった。
夫もショックを受けていた。
私だけならともかく、子供も、、、
子供も癌になるかもしれない。
50%って、、高すぎないか、、
最悪すぎる。
先生に、遺伝子の検査をすすめられた。
遺伝子検査をしないと100%、その病気とは言えないらしい。
私は受けたいと即答。
だって、私がその病気ってわかれば、子供達も早いうちから検査して早期発見できる。
早期発見できれば助かるんだから。
夫は悩んでいた。
ショックで頭が追いついてないのもあっただろうけど。
『とりあえず、この事はすごく繊細な事なので、
家で家族で話し合って下さい。』
『もちろん、遺伝子検査したくなければしなくても大丈夫です。』
診察室から出て、2人とも無言だった。
帰りの車の中でも、特に喋る事なく、、
なんで私が、、、
もう何も考えたくなかった。
家に帰り、とりあえず子供の前ではいつも通り過ごし、子供を寝かしつけ、疲れてそのまま寝てしまっていた。
23時頃、目が覚めて、、そしたら急に今日起きた出来事を思い出して、子供が小さいうちに癌になったらどうしよう。もし助からなくて私より先に、、
最悪な事ばかり考えてしまって、急にぶわぁぁっと恐怖感に襲われた。
あ、、なんかやばいかも。
と思い、すぐにリビングに行き、電気をつけ自分を落ち着かせた。
なんかあのまま暗い中にいたらやばかった。
少し落ち着いて、寝室に戻る。
子供達が幸せそうにすやすや寝ている。
子供をみると、、しんどい。つらい。
夫が音に気づいて起きていた。
思わず、夫の方へ行き、夫にぎゅっとしがみついた。
あまり普段こういうことしないんだけど、ぬくもりが欲しかった。その瞬間、我慢してたものが崩壊した。
声を殺してたくさん泣いた。
泣くと少し落ち着いた。
今まで、癌告知から転移告知やらいろいろあったけど、自分だけのことだったから、子供たちのために絶対生きる!!頑張る!!ってあまり泣かずに前向きだったんだけど、今回のはすごくダメージを受けたな。
久しぶりに泣いてスッキリした。
その後なかなか寝れなかったけど、
いつの間にか眠っていた。