人生、良いことばっかり、ではないですよね。

私も結構苦い経験しています。

 

「子育ても仕事も、私らしく軽やかに」

資格や技術はあるのに生かしきれない!
イマイチな毎日から脱却する
"はじめの一歩”を後押し!

起業スタートアップサポーター
魅力引き出しフォトグラファー
高木美香です。

 

 

 

私自身のこれまでの歩みについて

3回に分けて記事にしています。

 

1回目はこちら

 

 

2回目の今回は

最悪な過去について

触れていこうと思います。

 

 

 

憧れと現実のギャップに苦しむ

 

 

大学卒業後、

地元の小さなイベント制作会社に入社。

コンクールイベントや企業イベントなどの

制作に携わってきました。

 

3年経過したところで

 

「20代を

このままで終わりたくない…。

もっと外の世界に挑戦したい。」

 

そんな思いをいただくようになり、

仕事の合間を縫って

転職活動を始めます。

 

 

そこで、東京にある番組制作会社の

面接に進むことになりました。

 

その会社は、

大学生のころの就職活動時にも知っていて、

エントリーはしていたものの

体調を崩していたこともあり、

選考には進めなかった会社でした。

 

仕事の合間を縫って

職務経歴書を書き、

新幹線で面接に通うこと3回。

無事に中途で入社することになりました。

 

 

 

 

心のどこかでずっと憧れがあった

マスコミの世界。

 

その世界に足を踏み入れた喜びは

いまでも忘れられません。

 

報道番組や中継番組、年越し特番、

東日本大震災の震災報道などにも

携わることができました。

 

 

 

ですが、決して楽しいばかりでもなく

次第に悩むことも増えてきます。

 

 

社内のしくみが変わろうとしたときに

「あれ、なんかおかしいよね?」という

声を上げた社員が数名いました。

 

 

その社員たちが

「労働組合を作って、

ちゃんと労使交渉をしよう」

と立ち上がり、


私も話を聞いて納得して

労働組合に加わることにしました。

 

 

ここから大きく流れが変わってしまい

経営者・管理職から

「組合に参加するものは悪」

という扱いをされるように。

 

すると、せっかく組合に加わっていた社員も

あっという間に脱退していきます。

 

私も当時の上長と同じ現場で

仕事をした帰りに夕食を一緒にとった際、


「組合なんてやめたほうが良いよ」

と強く説得され

 

その流れでバーに行ってしまい

気づけば日付をまたぐ時間帯になるなかで

身の危険を感じてしまい

同意せざるを得ない状況に。


 

翌日に、その上長から会議室に呼ばれ、

「この書式の通りに脱退届を書いてね」と

指示を受けて、

指示されたとおりに記入し、

用意された切手付きの封筒に入れ、

近くのポストに投函しました。

 

 

封筒を投函した瞬間、


「あ、これ、私の負けだ…。

ずっとこんな悪い人たちに

媚び諂って生きていくのは嫌だ!」


と急に焦り、

 

組合の代表をしていた先輩に

「すみません、やらかしました…。」と

あっさりと白状します。

 

 

経営陣からの圧力を知った組合は

対立姿勢をあらわにしていくことに

なっていきます。

 

 

当然、私も反逆者扱いを受け、

 

ニュースの泊まり勤務を

5日間充てられた後に

明け休みを挟んで

午前からの仕事を入れられたり、


大事に担当していた番組を

平気で外されたりしていきました。

 

 

そう過ごしていくうちに

だんだんと体調もおかしくなり

急に泣き出したり、動機がしたり、

心身のバランスを崩していきました。

 

 

そんな中で、やってはいけないミスを犯し

経営者側から糾弾を受け

「もう、現場には行かせられない」と

言われる始末。

 

 

そこまでして、

この会社に残る理由はないと思い、


退職というフレーズを

その場で口にすると


「この場で退職届を書きなさい」と


コピー用紙と

サインペンを渡されて

書かされてしまいました。

 

 

こうやって書いていくと

とんでもない

パワーハラスメントですね。。。

 


脅迫です。

 

 

仕事のキャリアよりも自分の人生を優先した

 

 

その後、ありがたいことに

拾っていただけた制作会社があり、

キャリアをつなぐことはできました。

 

しかし、ここでも

いや~な思いをさせられます。

 

 

セクハラ!

 

 

番組の打ち上げ後、

当然終電を過ぎていた時間帯。

 

タクシーで

帰宅しなくてはいけませんでした。


その時に同乗した年配の局員に

執拗に体に触れてしまうこと数回…。

 

 

パワハラでやめたのに

今度はこれかよ~!!!!

 

 

 

でも、せっかく入れたのに

ここで生き延びないと…。

 

という変な意地が出てしまい、

しばし耐える日々が続きました。

 

 

 

憧れていたはずのマスコミの世界。

 

尊敬できる方たちにも

たくさん出会うことはできましたが、

 

「ここまで身も心も削ってまで

頑張りたい仕事なのか」

 

「この世界で

頑張っていく意味ってあるのか。」

 

と考えるようになっていきました。

 

 

 

ちょうどそのころに

交際中だった夫の上海赴任の話が

舞い込みます。

 

 

 

 

「好きな人と一緒にいたい!」

「海外で生活できるなんて!」

というのは表向きの理由。

 

正直なこと言うと

「上海についていけば、

こんな汚い世界から離れられる」

という下心が

半分くらいを占めていました。

 

 

汚く見えてしまう憧れだった世界で

仕事を頑張り続けるよりも

自分の人生を大事にしたいという思いを

優先することにしたのです。

 

 

 

 

会社員当時の私には

様々な覚悟が

足りなかったのかもしれません。

 


でも、あのまま

あの世界で頑張ることは

自分の首を

自分で締めていくことと同義でした。

 

 

俯瞰して自分を見たときに

「自分が幸せな状況って?」と

立ち返れるかどうかは

すごく大事なことだなと

感じています。

 

 

 

 

人生は何度でもやり直していい

 

 

転職を何度か経験し、

駐在妻・専業主婦を経験しましたが

 

 

本当に心地のいい

・仕事

・環境

・人間関係

を整えていくことが

 

自分自身の幸福度を
高めると実感しています。

 

 

 

 

 

たとえ躓いたことがあったとしても

「自分が幸せになる選択」を

堂々として良いですし、

 

何度だって人生を

やり直すことはできると思っています。

 

 

今の私は

子育て、家庭を大事しながら

自分のペースで仕事するスタイルを

大事にして暮らしています。

 

 

 

 

決してゴールではなく、

まだまだ道の途中。

 

 

次回は、これから見据えている

将来の話を書いていこうと思います。

 

 

 

◆高木が直接運営するFBグループ
「ぷちクリエイティ部」

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ここまでお読みいただきありがとうございました。