参加者、木村泰美さんのご感想です。


わたしだけで留めておくのは、
あまりにももったいないと感じるので、
ぜひシェアさせてください。



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その日のワークショップのテーマは
「様々な存在を感じてみる」でした。

今まで体験してきたものとは違う、
新しい「感じる」方法を教えてもらった私たちは、
思い思いに森へ散らばっていきました。


私は、まだ苗木とさえも言えない程
小さな木に目を止めました。


30cmにも満たない背丈に、
柔らかな緑の葉を数枚だけつけて、
まるで大きな木に守られているかのように、
その木は弱々しく立っていました。




教えてもらったばかりのやり方で、
その木を感じてみようと根元に座ってみます。

体の感覚だけを頼りに静かに座っていると、
その木から柔らかな振動を感じることができて、
私はすごく嬉しくなりました。



今、目で見ている小さな木の姿ではなく、
感じるだけの存在がそこにあることを確信して、
私はその感覚を味わうことに
しばらく夢中になりました。



そのうちに、振動を感じていたその木の背後に、
何かもっと深くて大きな存在が
あるような気がしてきたのです。


その存在は、今私が「この木との会話を楽しめて嬉しい」
というような感情ではなく、
ただ悠然とそこにありました。






その存在が一体何なのか知りたくて、
私はじっと感じ続けてみました。

そうすると、ある思いが湧きあがってきました。


私が、私自身であると信じてきたもの、
鏡に映る姿や、怒りや喜びなどの様々な感情は、
はたして真実の自分自身なのだろうか?


「もしかしたら、このか細い木から感じる振動の、
背後に存在しているものこそが、
この木そのものなのではないだろうか?」


私は、幾重にも重なった自分の姿を想像してみました。
肉体の自分、感情の自分、
そしてただ存在しているだけの自分。



もしかしたら、存在しているだけの自分があるからこそ、
感情の自分が大きく振動し、
肉体の自分の鼓動へと繋がっているのではないだろうか?



感情としての自分は、
空から降ってきた雨が
土に吸い込まれるのと同じように、
周りで起こっている刺激に反応している
だけなのではないだろうか?



怒りも悲しみも喜びさえも、
ただ現象として起きているだけのことで、
どのような激しい感情でも、
真実の私を揺るがすことはできないのだ。



そう思うと、私が今まで扱うのに
困っていた爆発的な怒りや、
のたうつような悲しみも、消し去る必要もなく、
反対にこだわる必要もなく、
ただ安心して感じるだけでよいのだ。



私の背後にも、か細い幼木の背後にもある、
その繊細でいて絶対的な存在を何と呼べば良いのでしょうか?



それは私たち自身であり、
すべての生命体の源でもあり、
全ての思いでありながら、
そこには名前のついた感情も出来事も一切なく、
ただ存在することの尊さを、
自らの存在で証明している。



そんな言葉にならない存在を、
私は、小さな幼木の背後に感じたのでした。



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泰美さん、ありがとうございました。





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