社会に適応できたら、「オトナ」??? | みかりんのThink different

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27歳、主婦みかりんのブログ!楽しく生きて旦那の才能を開花させ、幸せな家庭を築きます♪
ホームエステ・アンバサダー / 講演 / カウンセラー / アゲマン料理研究家 / アーティスト / 作文講師。



この世の中というのは、

私が想像していた以上に

「社会に適応していく」ということが

重要視されているようだ。



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きちんと学校に行って、

友達をたくさん作って、

勉強して、

受験に受かって、

学歴を得て、

就職して、

働いてお金を貯めて、

結婚してコドモをつくり、

それなりにおそってくる人生の困難に果敢に立ち向かいながら、

社会の一端をしっかり担って生きていく


(『コドモであり続けるためのスキル』貴戸理恵)



これが、この社会で"ふつう"とされている生き方なのは分かる。


そして

最低限ここに書いてあることをしていれば

生活に困らなさそうな気さえする。





決められた順序、決められたスピードで成長し

決められたことをやっていればいい。






無駄なことは考えず、

周りを見て生きてればいい。


「そうしてれば困らないから。」







私も、幾度となく言われた。


「気にしすぎだよ!」


「そんなに頑張らなくていいんじゃない?」


「考えすぎるところがあります(小4・通信簿)」


などなど。







足りないところは「がんばって克服しよう」と言われ、

でも「頑張りすぎ」るとなだめられ、

過剰に「しすぎ」「やりすぎ」ていることは「やめる」ように言われる。












ほんとは

抜きんでているところが個性なのにね。




足りないところは

足りないままでもいいのにね。




なにごとも

「常識の範囲内」にしておけば安全という

思考停止。











世の中には、

今ある社会と自分のあいだに圧倒的な違和感があって、

理屈抜きに相性が悪い、

どうにもこうにも「適応」できず

無理に「適応」したら自分が壊れてしまう、という人がいる。


(同著)








社会にうまく適応できたら「一人前の大人」になった、と

言われる感じがあるけど、

ちょっと失敗すると

「不登校」

「中卒」

「ニート」

そして「適応障害」なんて病名までついちゃったりする。






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この世の中というのは、

私が想像していた以上に

「社会に適応していく」ということが

重要視されているようだ。



そして

「社会に適応する」ということと

「自分らしく生きる」ということは

なんとも両立しがたく


個性をそぎ落とし、またはつぎ足して

周りと足並みを揃えていくことが「適応」とされているように

感じられる。







「適応」していくことが人生の目的なのか。

「適応しない」という選択肢はナシなのか。

そして「適応」できないことは「障害」と言うほどのことなのか。




「適応できなければ、逃げればいい。」

この一言に、私は最近救われました。




おこがましくも

皇族に適応しきれず苦労なさったという

雅子さまと

今なら分かり合える気がしております。