5月は場面緘黙啓発月間です。

今月はできるだけ場面緘黙についてブログの記事を書いてみようと思います。

 

アメリカに来てから、場面緘黙の子どもを持つ親のいくつかのFB グループに参加して日々投稿される内容を読んでいます。

イギリスの緘黙の支援団体のSMIRAのプライベートグループは1.8万人、もう一つの別のグループも、1.5万人ほどが参加しています。

アメリカではSMA(selective mutism association)という団体があります。サイトにはかなりの量の情報があり、よくよく読むと非常に勉強になる内容のものばかりです。言語設定で日本語も選べます。

 

グループ内での会話を眺めていて、やはり日本と同じだなと思うのは、学校の対応が地域によって、学校によって、先生によってかなり異なること。特に、担任の先生の影響はここでも同じように特大のようです。

私の娘が小学校に入る時、クラス分けで幼稚園が同じだった子とは違うクラスにしてもらえないかお願いしました。(過去にちょっとひどいいじめがあったこと、その子たちがいると話せている場面でも話せなくなる等の事情説明と、医師の診断書+意見書提出しました)

同じ幼稚園出身の子はその学校には数人だけだったこともあり、校長面談では比較的すんなりと「任せてください」と快諾いただいたのがありがたかったです。その時、校長から「担任の先生はどんな先生がいいですか?」って聞いてもらって、その時は「できれば物腰の柔らかい女性の先生が・・」みたいに答えた記憶があります。でも、こればっかりは難しいなとも今考えると思います。子どもにとっていい先生と親から見た先生は違うわけだし、性別で分けられるものでもないし(女性の先生で、一見優しそうだけど鬼のような怒り方をする人もいる)、実際に接してみないとわからないっていうのもあります。

 

グループの中で、「緘黙の子と接する先生にどんな資質が必要だと思いますか?」って聞いてる人がいて、何人かが答えていました。その中に、「あーなるほど!」と思うものがありました。その方は緘黙についてのセッション(おそらくSMAかSMILA主催)に参加した時に同じ質問をパネラーにしたそうで、その時にもらった回答というのが、

 

学びに対して開かれていること(open to learning)

 

というものだったようです。

教師自身が学び続ける姿勢を持っているかどうか、まさにここに全てが凝縮されていると言っても過言ではないと思います。

場面緘黙に限った話ではないですし、時には今までの教育経験から培った価値観を一度傍においてもらうことも必要なことがあります。場面緘黙ってなんとなく知ってるけれど「話せない」以外のことについてしっかり学んでくれている先生がどれくらいいるかはわかりません。

でも確かに言えることとしては、親の会に支援者の立場で参加してくださる方(先生含め)たちは、まさにこの学びに対しての姿勢がとても開かれている方ばかりです。

 

でもこの姿勢って、「開いてくださいよー」って誰かに言われてできるようなものでもないし、先生たちの労働環境が改善されないとそんな気力も持てない先生もきっといらっしゃるだろうし、かといって今の時点ですでに苦しい思いをしている緘黙の子どもにその皺寄せがいくのもおかしいと思うし、でも、「ちょっと調べてみようかな」と思ってくれた先生にはぜひ動画視聴をおすすめしたいです。(緘黙支援についての良書は本当にここ数年でたくさん出ていますが、まず動画からというのも入りやすいです)

1日15分でいいので、ゆっくりじっくり見ていただいて、目の前の子どもたちにぜひ活かしてほしいのです。

高木先生は緘黙支援では大変有名な先生ですが、緘黙に限らず、教育という大きな文脈においてもすごく大事な視点を学ぶことができます。多くの学校関係者の方に見ていただきたい動画です。

 

 

研修講座「場面緘黙の理解と支援」(令和2年度佐久教育委員会研修DVD講座より)

 

 

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