私は小学生高学年頃から中学生まで



自分の部屋があり、本を読んだり、大好きなアイドルの推し活もしていて、家で1人で楽しく過ごすことは出来ていました。



けれど、1歩でも部屋を出れば

両親は不仲で無言……




その凍りついた雰囲気が大嫌いでした。




そして同居していた祖母は明るくてお喋りだったものの



何かにつけ宗教の話が出てきて、ウンザリ感は否めないものでした。




幸いにも両親も祖母も私の行動を縛ることはなく




バイトである程度のお金を手にし、学生時代は遊びたい放題でした。




その当時、今では出来ないであろう経験もし

友人には呆れられたりしましたが



どれもとても良い思い出だし

今の私の支えになっていたりします。




そして良い友人にも巡り会えてきたなって思うのです。




それでも、昔の私は

過去の自分、そして未来の自分へ

良き想いを馳せることはしてきませんでした。




特に過去はうんざりなことがたくさん。

だから、なかったことにしたい記憶のほうが多いです。



そして機能不全家族のため

普段は激甘な父がアルコールで壊れるかも…とか

未来はどうなるかわからない不安がいつもあったからこそ




過去の私は将来を慎重に選びつつも



どこかで未来はどうなるかわからないから

今の私が楽しくあればいいと思ってきたところもあったように今は感じてきます。




カウンセリングで

今は美味しいものを食べたり、行きたい場所に行ったりしてるから、ご自愛もしてます!と話したとき



あたなはそれをご自愛と呼ぶんですね……



否定も肯定もせず、淡々と先生に言われたことがあります。



この1年、ずっとその先生の淡々とした言い方が

気になり




もしかしてご自愛ではないのかも……という疑問に変わっていました。




まだハッキリと答えが自分の中にあるわけではないですが



先生は、過去も今も未来も含めて自分だという存在だと認識することがご自愛だと伝えたかったのではないかと思うのです。




辛かったこと、キツかったことを経験した過去の自分があっての今の自分。

そして、ここから創り出す未来もまた自分なのです。




先生は答えを教えて下さらない人で



このカウンセリングのゴールはどこにあるんでしょうか?

私は何にこだわっているんでしょうか?

しんどいのは気のせいですか?




この1年、数え切れないほどのたくさんの質問を先生にしてきました。



けれどどの質問にも

私の中にしか答えはないからねと返してくる先生。 




前回のカウンセリングでは

先生の質問から父の話題になり

避けたいと拒否反応がでる私がいました。




話しながら、

似非ポジというか、きつい出来事に対して自分の都合のよい内容を上書きをしてる自分に気づきました。




だから自分のためにもう一度

先生のもとで、父のことを通して、過去の私を見ていく覚悟を決めました。




父がどうだったとかではなく



過去の自分に対して、きちんと事実を言語化して

今の私が過去の私を受け入れることを目的に

セッションを受けようと思っています。




そして明日の自分、未来に対しては

明日はいい1日、未来にしてね!と想いを馳せてみようと思います。