「クラフトマンシップの文化」を深掘りする-その11「地域の中の学校の位置づけ」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今の「学び」を「〇〇のため」で終わらせずに、「〇〇とともに」にしていくために、問題意識を教材化して、日本の教育システムで閉ざされたものを開き続けます。



6月17日の一読は第2章の続きで「コミュニティの基盤づくり」までです。ここではアメリカの都市部でも田舎でも町の環境が悪ければ、学校の環境をよくしたいという気運すら浮かばないことを指摘していました。


たしかに校舎に落書きがあったり、荒れ放題になっていたりしているところに通う子どもたちがどうして希望を持てるのかと言いたくなります。もちろん、ただただ綺麗に管理されているだけの場でも子どもたちは誇りを持つ保証がありません。


バーガー氏は重要なことを指摘していました。

「建物が宮殿である必要はありません。でも、子どもたちや教師、そして保護者たちに、私たちが彼らのことを気にかけているということを示す必要があります。これは地域コミュニティが学校に誇りを持つことなしには実現しません。地域コミュニティが自分たちの学校に誇りを持てば、そこに住む子どもたちもその倫理観を共有するので す。もし誇りに思わなければ、改装された綺麗な校舎もすぐに落書きで覆われ、破壊されてしまうでしょう。」(80ページ)


この文章は学校というのものが地域コミュニティの中で位置づけられているいい証拠です。地域コミュニティを構成する大人たちが本気で生きていないところから良い子どもが育つはずがないのです。


さらにこの後の文章でもバーガー氏は興味深いことを指摘していました。

「校舎の中で起こる学びの質についても同じことが言えます。幼稚園児は、どのような環境にあっても学校で学ぶことにワクワクしますが、高学年になると学校の評判に敏感になります。家庭や企業や近所の子どもたちを含む地域コミュニティが、学校をポジティブな環境、より良い人生を送るために必要な場所だと見なせば、生徒たちはそこで頑張ってみることに意味を見出します。学校で良い成果を出すことが評価されるコミュニティでは、 生徒たちも学業を大切に思うようになるのです。」(同上)


ここでの話は日本の学校教育すべてにおいて見過ごされている点ではないでしょうか?学校を単なる勉強するところで終わらず、自分のキャリア形成のための単なる通過点でもなく、「より良い人生を送るために必要な場所」という認識を持つことがいかに大事かを気づかせてもらいました。


そして地域コミュニティが作り出すキャリア形成のあり方として留意すべきこともバーガー氏は触れていました。


「テキサス州オデッサの高校のフットボールチームを題材にしたH・G・ビッシンガーの 『フライデー・ナイト・ライツ』(中央公論社)」(同上)を引き合いに出して、アメフトで地域を一丸とすることの良い面と悪い面をきちんと浮き彫りにしていました。


日本でも地域コミュニティの活路としてスポーツに傾斜する傾向があると思いますが、特定のものに固執することの弊害を見ないと子どもたちの無限の可能性を殺すことになりかねないという警鐘だと強く感じています。詳しいことは80ページから83ページをご参照ください。