今日の一日一読は第2章の続きで「勉強する親を見て子供も勉強するようになる――キュリー夫人」までです。今回の内容はキュリー夫人の父親が勉強熱心だったことで、世に言われている「キュリー夫人」が生まれたというものでした。
たしかにキュリー夫人の父親はただ娘に勉強しろとだけいうのではなく、自らも勉強し続ける姿を示していて、その父親と過ごす日々の中で自然な形でキュリー夫人が勉強熱心になっていったと思います。
ただ読んでいて、素直に受け入れないと感じてしまったのは、この父親も娘も「何のために学ぶのか」という問いが全然なかったようだったからです。おそらく、この二人にとって、勉強するのは当たり前で、その結果としての成果も実感しやすかったと思われます。
しかしながら、父親が学んできたことが娘の時代でも通用するとは限らないので、そこの囚われは非常に危険です。キュリー夫人と父親の話が美談になるのは過去だったからで、現代で同じことをしても、悲惨な結果になる気がしました。
やはり常に、何のために学ぶのかという問いを自問しないと、学べば学ぶほど近視眼になってしまう恐れがあると強く感じました。