諸富先生のキャリア教育を深掘る-その17「なぜ頭でっかちになるのか?」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今の「学び」を「〇〇のため」で終わらせずに、「〇〇とともに」にしていくために、問題意識を教材化して、日本の教育システムで閉ざされたものを開き続けます。



今日の一日一読は第1章第5節「従来のキャリア教育の壁を越えるために」の「頭でっかちにならない」までです。今回の内容が日本のキャリア教育、いや学校教育そのものの実態だと感じてしまいました。


諸富先生は冒頭に次のような話をしていました。

「大学の就職課では大学三年生に対して、就職活動で企業にアピールすべき自分を見つけるために、自己分析をさせるのが定番になっています。しかし、自分のいいところを書きなさいと言われても、ぜんぜん書くことができない学生は少なくありません。書けずに 「もうダメだぁ」とばかりに落ち込んでいって、ますます自分で自分を追い込んでいってしまう。これは学生に自信を失わせる典型例です。

 実は、こうした自信喪失につながるキャリア教育が、高校でも中学校でもたくさん行われています。なぜ自分自身を追い込んでしまうのかというと、「自分って何?」と頭で考えすぎるからです。「自分のよさ」などは、何かをやっているときに思いがけず気づくものです。自分のよさを自分が知っていると考えるのは思い込みにすぎません。」(86ページ)


これは誰も驚かないことではないでしょうか?当たり前すぎて疑うことを忘れそうになりますが、そもそもなぜこのような若者が日本では生まれやすいのでしょうか?学生の自己責任で片付けられないはずです。なぜなら、彼らは日本の学校教育で育っているからです。


彼らが自然としがちなのが、「頭でっかち」です。言い換えれば、先知後行です。先に知ってから、後で行うことを学校教育で身につけてきた結果です。その弊害が社会に出るための準備段階が起きていることに、日本の学校教育の根本的な問題があるように思えますが、あまり世の中では問題視されていないのが不思議で仕方がありません。


もっとも「頭でっかち」の解消方法自体はシンプルで「考えるよりも前に動く」ことにつきます。このことを肌で感じるために、日本人は高い教育費を払っているとしたら、正直悲しすぎます。


大学の学びは本来そんなところにはないはずですが、残念ながら、現実はそう言わざるをえません。