6月23日の一読は前回の続きで「二 自然と生命」です。この中で河村先生が取り上げていた自然観が主に西洋哲学に限定されていていたので、読んでいてかなり疑問符がつきました。
西洋の人たちが自分たちの過去の人たちが考えてきたことを踏襲することは十分にありうると思いますが、東洋の人たちが自分たちの過去よりも西洋の過去を意識することには違和感があります。もちろん西洋と東洋のどちらかが優れているかどうかは価値観の問題なので、ここでは関係ありません。単純に、西洋人がやっていることを東洋人もしてみる人たちが一定数いるべきではないかということです。というのも、どうしても語られる内容に偏りを感じざるを得ないからです。
せめて西田幾多郎や鈴木大拙くらいは取り上げてほしかったです。