意識を深掘りする-その80「究極のデカルト的覚醒」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今の「学び」を「〇〇のため」で終わらせずに、「〇〇とともに」にしていくために、問題意識を教材化して、日本の教育システムで閉ざされたものを開き続けます。



5月27日の一読も前回の続きです。哲学的には深いテーマが論じられていることは伝わってくるのですが、何のためにやっているのかはイマイチ伝わってきません。


永井先生は「無内包の現実の〈私〉は、言葉よりも手前にあるので、そもそも言葉で語られることとそりが合わないのです。」(173ページ)と書いているので、そこはすごく納得がいくのですが、それでも「言葉」を使って、「〈私〉」を説明しようとしていました。


他ではない〈私〉を示すには結局のところ「これ」と指差すしかないというあまりにもシンプルな答えが書かれていて、少々びっくりです。しかしながら、永井先生に言わせれば、それこそが「究極のデカルト的覚醒」(174ページ)らしいです。