意識を深掘りする-その19「二重性を内包する」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今の「学び」を「〇〇のため」で終わらせずに、「〇〇とともに」にしていくために、問題意識を教材化して、日本の教育システムで閉ざされたものを開き続けます。



今日の一日一読は前回の続きで、「5 認知科学は進化する」でした。今回は下條先生が引用していた日本語の特性の方に注目しました。

「殺気、気配。 表情、気分、情景。 これらのことばには、共通するある特徴があります。 それは雰囲気や世界そのものを描写していながら、同時に個人の内面をも描写している、という二重性を持っていることです。」(155ページ)


「こんな表現もあります。伏し目、流し目、上目づかい。これらは身体性の比重が高いことばの例ですが、この場合にも内部と外部が両方表現されています。」(同上)


これらの日本語に見られる二重性を認知科学はずっと不得意としてきたことに下條先生は関心を持っていたようですが、そもそも日本人はなぜこういう言葉を用いてきたかの方に興味を持ちました。


内側や外側、内部や外部といった対比は境界線さえはっきりすれば明確に定義できるものですが、日本人の感覚では、その二重性を行き来するようなものを持っていたことが上記の用語から推察できます。近代以降、欧米の価値観では別々のものだと認識されてきたことを受け取り直す絶好の機会だと感じています。