空海の生き方を深掘る-その47「空海はなぜ山に籠ろうとしたのか?」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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9月4日の一読は第6章の続きで「山上の修禅」でした。ここでは桓武帝の皇子良岑安世(よしみねやすよ)と空海との手紙のやり取りを中心に、「高野山に籠もって何時帰京するともしれない空海に対して、良岑安世は何度か帰京を促す便りを送っている」(169ページ)ことが解説されていました。


この内容に関しては松長有慶先生の『空海』にも「2 自然観」として詳しく書かれていました(34-45ページ)。


松長先生は空海がなぜ山に籠ったのかについては、山の生活の楽しみに加えて、大自然そのものが経典のようなものであることを感じていたからだとまとめていましたが、本書の著者益田勉先生は良岑安世とのやりとりの背景には「当時空海の真言密教を批判する勢力があり、空海でさえ自らの主張が思うに任せない状況にあったこと」(170ページ)を指摘していました。


この空海の行動をどうみるかはすぐには判断がつきません。自らの修禅を優先させただけなのか、世の中を変えたくても変えれない歯がゆさを感じていたのか、空海自身の心境が知りたいものです。