冒頭で仏教で極楽世界のことを表現する言葉に、「赤色には赤光あり、青色には青光あり」というものがあることに触れて、「極楽といっても珍しいことがあるわけではない」(157ページ)と言っています。
極楽浄土という言葉から連想するのは、どこか非日常なものではないでしょうか。そんなイメージを尊徳は全く持っていません。
「人はみな銘々、おのれの家の家産・田畑はおのれに作徳がある。おのれの商売・職業はおのれに利益がある。おのれの家屋敷はおのれの安居の場所となる。家財道具はわが身の利便となる。親兄弟はわが身に親しく、妻子はわが身に楽しい。また田畑は美しくととのって、米麦百穀を産み出すし、山林は繁茂して良材を出す。」(同上)
これらの姿こそ、極楽だと尊徳は見ていました。このように、極楽は単に与えられるものではなく、天道に従った人道によって生み出されたものだと言えます。そして、この展開から、地獄は、人道が果たせない状況を指します。
誰でも極楽浄土を目指したいと思いますが、それは自分の行い次第だという点がはっきりと打ち出されています。