『二宮翁夜話』から問題意識を教材化するーその79「過ちを引き起こすような勢いは止められない?」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今の「学び」を「〇〇のため」で終わらせずに、「〇〇とともに」にしていくために、問題意識を教材化して、日本の教育システムで閉ざされたものを開き続けます。

今日の一日一読は「勢いが過ちを引き起こす」でした。今回の話は、尊徳の話にしては後ろ向きな言い方で終わっているなと感じられました。

ここでは、権威のある立場の人が起こす不正については取り上げられていて、なぜそのようなことが起きるかという理由を尊徳は勢いがあるからだと言います。そしてそれは流れの早い水流のように、止めようがないものであって、自然に起こりうるから咎めるべきではないとさえ言われています。

権力を持つがゆえに、驕り高ぶることは想像に難くないのですが、それに対する尊徳の考えが、以外にも消極的だったのが、読んだ時の違和感として残りました。確かにただ批判するだけでは何も改善されないので、別の手を考える必要があります。そのような人はおそらく、尊徳のいう心田が荒れ放題になっていると考えられます。だからこそ、尊徳の腕の見せ所だと私は考えていましたが、今回は当てが外れました。

ただし、今回の話に意味があるとすれば、この話を誰にしたかということです。夜話にはちゃんと実名が載っていて、横山平太という人物に尊徳はこの話をしています。この人物は桜町の門人であって、早くに亡くした父のあとを継いで、尊徳をサポートし続けた人のようです。そんな人が、権威者の不正を非難しようとしていたので、それを尊徳が止めたとするならば、深い意味があると考えられます。若くて有望のある人物が、たとえ不正をはたらくものを見たとしても、自分の正義をひけらかすようなマネを尊徳がさせなかったというのは拡大解釈でしょうか。現時点でははっきりとしたことは言えませんので、尊徳が若者にどう生きるべきかを語っていたかはこれかも注意深く見ていきたいと思います。