3incミニカー「ダイハツ プロトタイプ P-2」 

 

今回はダイハツの初期のレーシングカーの2代目プロトタイプ レーシングカー「P-2」を“削って”みた。

活躍する時間も短かかった為か、今はその姿を見る事はかなり難しい。実車は廃車(たぶん)になり映像は疎か写真も殆ど残っていない、小生も今まで3ショット位しか見た事が無く、その存在にはとても興味をそそられます。

 

無断転載、盗用禁止!

・なんか画像はデホルメ調?拡大すると荒が見えるので遠目で見て下さい。m(_ _)m、

     

 

今回も其の辺に転がっている角材の端材を削ってノミを彫り進めたが、画がほとんど無いので逆になんか進め易い、サイズ感も元になってるコンパーノ・ベルリーナのクーペをイメージしての作業なので意外と進む、又今回から大工さんが使う本格的なノミとかまぼこの板を再利用した削り台を作ったので危ない目に遭わずに作業が出来た。結果は画像の通りで回を重ねる毎に要領も得てきた感じだ、なにせ古いクルマで写真も白黒、ダイハツと言えば黄色いボディに赤のラインか緑のラインなのだが、P-2はどうも黄色ではなさそうである。色々考えた末に辿り着いたのが赤である。ダイハツカラーの黄色の方が良かったかも知れないが市販車を架装・改造した車に黄色は塗らないだろうし本格的なレーシングカーでもあまり見た事無い、せいぜい電力会社の社用車くらい、そう言えば「名車再生」のマイク・ブルワー氏も黄色いクルマが嫌いと番組でコメントしてた。

今回の「ソリッドモデルカー」はヘッドランプ周りが作りが苦労した。ランプのメッキリングと何回作ってもシワがよるランプカバーと、終わってみればどこかのミニカーみたいに塗装で再現して其れらしくしても良かったかと、なにせ作る間の楽しみで終わったら棚の奥の方にしまわれ何時しか忘れられる存在なのでね・・・・・・。

 

説明が後になったが、P-2とはP-1の後継モデルで、市販車の「コンパーノ・スパイダー」を改造したワークス仕様のプロトタイプレーシングカーです。ベースとなったOHV1000(958)CCの4気筒エンジンはウェーバーツインキャブ仕様で、非力な動力性能を空力で補うように設計されてた。外観は初代P-1同様に取外し可能なデタッチャブルトップを装着したモデルだと思われましたが、P-2はフロント周りをさらに流麗な空力デザインに改造し、後付けながらクーペかファストバック型のハードトップを固定した一体型仕様で、別物のクーペタイプのレーシングカーになっています。

基本はスパイダーの改造モデルで、フロント・リアも大きく手を加えられていますが、さすがはダイハツのワークス仕様のプロトタイプで、P-2は見事な出来です。それも改造・架装が比較的容易だったのはラダーフレームを採用していたからでしょう。その技術力は翌年に誕生する同じくコンパーノをベースにした「Pちゃん」ことP-3に受け継がれることになります。

 

この時代、各社レース用のクルマを作っていたが実戦に投入されたワークスマシンは、色々見方もあるだろうがダイハツ工業のP-1(1965年8月)が最初で2台目が旧プリンス自動車 R380-Ⅰ(1965年10月)、3台目が今回のP-2(1965年10月),後に、P-3(1966年7月)、日野自動車のGTプロトタイプ J494(1966年8月)、P-5(1966年10月)、いすゞ自動車のR6(1967年10月)と続く訳です。

 

実際の活動期間を調べてみると、P-1は1965年8月から1966年3月の7か月間、P-2は1965年10月から1966年7月までレースに出場していた様です。しかし、レース主催側の記録を見ると、車名が「コンパーノ・ベルリーナ」や「コンパーノスパイダー」とされ、型式がF40Kとあるものもあり、正確なところは定かではありません。活動期間はよくわからないが、以下のレースではP-2として記録が残っています。

  • 1966年3月27日 第4回クラブマンレース 富士大会
    • Kクラスで3位(総合6位)[㉑吉田隆朗氏]に入賞し、同じく4位(総合7位)[⑳久留木博之氏]にはP-1が入っています。両車とも車名は「コンパーノ・ベルリーナ」とされ、上位1・2位はトヨタRTXで「トヨタ1600GT」のレーシングバージョンです。
  • 1966年7月24日 第1回富士ツーリスト トロフィー自動車レース大会
    • スポーツカークラスでP-3(ダイハツP3)[②吉田隆朗氏]が1位、3位にはP-2(ダイハツコンパーノ)[③吉田隆朗氏]が入っていました。このクラスには滝レーシングのポルシェ906(決勝R)や「スカイライン S54B」(決勝2・4位)も同じクラスで戦っていた為、記録を見ただけでもとてもに興味深いレースだ。

他にも記録として、

  • 1965年10月10日 ダイロップ杯K・S・C・Cオール関西チャンピオンレース(鈴鹿)
    • GT-1クラスで1位[③吉田隆朗氏]と2位[②久留木博之氏]が入り両車とも車名は「コンパーノ・スパイダー」ではありけどP-2でワンツーフィニッシュを達成しています。

他にも先述の車名・型式で出場しているものの、実際はP-2またはP-1である可能性が高いです。残っている写真を見ると、「コンパーノ・ベルリーナ」F40Kとして参戦しているのに、写真ではP-2で同じカーNo.が写っています。

とにかく、レースに出場したにも関わらず、資料がほとんどない謎めいたワークス仕様のレーシングカーであることは間違いないかもよ・・・・・

 

     


     

 

 

 

次回作は現在作業中、たぶん殆どの方(小生も図書館で偶然、手にした本に載っていたクルマ)が知らない車です。

古いクルマで過去クルマ専門誌にも取り上げられていないと思うけど・・・・・。

 

お読み頂き有難う御座居ました。