マイルスが初めてヨーロッパを訪れたのは、1949年のこと。タッド・ダメロン・バンドの一員として「第一回パリ国際ジャズフェスティバル」に参加するためだったのですが、この時彼が最も驚いたのは、人生初の空の旅でも、歴史的な建造物でもなく、パリには黒人差別が存在せず、行く先々で芸術家として手厚くもてなされた事でした。

 

 さらに、異人種のカップルでも気兼ねなく過ごせるこの街で、マイルスは女優のジュリエット・グレコと恋に落ち、パリはいつしか彼にとって、別世界のような存在になって行きます(マイルスは晩年まで欧州ツアーを続けるのですが、パリを外した事が無いのは、おそらくそのためだと思います)。

 

 では、なぜパリに住まなかったのか。マイルス曰く…

「大好きだったが、パリに移るなんて考えたこともなかった。俺の全ては、アメリカで起きていた。俺の音楽にパリじゃなにも起きないし、起こるとも思えなかった。たまに訪れる場所として、愛していたかった」

 

さらに、こうも述べています。

「パリに移り住んだアメリカのミュージシャンは、エネルギーとか鋭さとか、何かを失ってしまったようにしか見えなかった。…パリにはクラッシックの教育を受けた素晴らしいミュージシャンが沢山いたが、それでもアメリカのミュージシャンのように音楽を捉えていなかった。こうした理由で俺はパリには住まず、同じような理由で、ジュリエットはパリを離れることができなかった。そしてそれを、お互い理解していた」

 

う~ん、さすが、としか、言いようがありませんね~!

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 1956年に入ると、マイルスはレスター・ヤングやMJQと共に、ヨーロッパのミュージシャンとのコラボを目的としたツアーに参加(もちろん、グレコに会いたいという気持ちも、あったのでしょう)。

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 さらに翌年、マイルスはフランスのプロモーター、マルセロ・ロマノのオファーを受け、単独でパリへ。当時、マイルスのバンドは解体状態にあり、ロマノにもマイルス以外のミュージシャンをアメリカから呼び寄せるだけの資力が無かったために、メンバーはすべて現地調達ということに。それでもマイルスが応じたのは、場所がパリだからだと思います。

 

 メンバーは、ベースがピエール・ミシュロ、テナーがバルネ・ウィラン、ピアノがルネ・ウルトルジュ、そしてドラマーは、ちょうどパリに住んでいたケニー・クラークという布陣。フランス勢に関しては、今でこそ知られているものの、当時はほぼ無名。マイルスにすれば掛けに等しい状況だったのですが、偶然にもケニー・クラークがパリにいたことは、ツアーの観客にとっても、そして「死刑台のエレベーター」の監督であるルイ・マルにとっても、幸運だったと思います。

 

 

 プロデューサーのマルセロ・ロマノという人は(なんだか、テオ・マセロに響きが似てますよね/笑)、中々の策者だったようで、マイルスを主役にした短編映画を、3週間のツアーの間に撮ろうと画策。目論見は結局とん挫するのですが、転んでもただでは起きないのがロマノ。25歳の新進気鋭の映画監督、ルイ・マルが、「死刑台のエレベーター」のサントラにマイルスを使いたがっているのを知ると、交流のあったジュリエット・グレコを通してマイルスに打診。マイルスが興味を示すと、ロマノはルイ・マルが彼の大ファンであることや、まずはラッシュ・フィルムを見てもらいたいと願っていることを、マイルスに伝えます。

 

 ロマノの説得はツアー開始目前まで続いたようですが、ついにマイルスと映画関係者を引き合わせる事に成功。マイルスは当初、バンドが言わば“即席状態”である上に、期日にも余裕がないことから難色を示したようですが、フィルムの上映が終わるや、周囲の心配をよそに制作を快諾。ロマノにツアー中のホテルへピアノを運ぶよう指示し、コンサートの合間を縫って、サントラのアイデアを練り続けます。

 

 そして、ツアーを好評のうちに終えて迎えた、12月4日の夜、いよいよレコーディングが開始されます。

 

 

 

 

*レコーディングに参加した、バルネ・ウィランの証言。

 

 「何も知らされないままスタジオに入ると、片隅に映写機が据えられていた。リハーサルなど、まったく無かった。映像を眺めながら、マイルスのリードに従って演奏した。緊張と集中の連続だった。あっという間のように思えたが、気が付くと数時間が過ぎていた」。

 

 

 

Miles Davis

Ascenseur pour l'Echafaud'' OST

 (Louis Malle 1958)

https://youtu.be/PW-SxgZViuk

 

 

 

 

 

 このアルバムには、「映画を見ながら、マイルスが即興で作り上げた」という伝説があるのですが、実はマイルスの頭の中にはすでにアイデアがストックされており、それをメンバーにぶつけることでインプロヴィゼーションを鼓舞するという、帝王お得意の手法でレコーディングされた、というのが、事の真相のようです。

 

 

*ぜひ、フル・アルバムで!

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Miles Davis

Ascenseur pour l'échafaud

 Lift to the Gallows (Full Album)

https://youtu.be/Wc4tT-55ZzI

 

 

 

 

 

 

素晴らしいですね~!

 

 大都会に漂う孤独や虚しさをものの見事に表現しながら、スリルや喚起力は、まったく失われていません。スローであっても、バラードであっても、魂の共振が可能であることを明確に証明する演奏だと思います。

 

 前回取り上げたエヴァンスの場合、聴き手は彼の世界に呼び込まれて行くのですが、本作ではマイルスと聴き手が対峙し、共振が成立した瞬間にジャズが立ち現れて来るので、ジャズの特殊性を体感するには、うってつけかもしれません。

 

 

 

 このアルバムは、マイルスが初めてモード・イディオムを試した作品だと云われているのですが、コードから離れて行く時の不安感を、映画のトーンに重ねるあたりは、正しく天才の為せる技!

 

 そして忘れてならないのが、ケニー・クラークのドラミングで、不安や恐怖がひたひたと押し寄せてくる雰囲気を、巧みなブラシ・ワークで創出しています。

 

 もしかしたら、マイルスのトランペットが屹立した輝きに満ちているのも、クラークのお陰なのかもしれませんね。

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 では、また!

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