2020年1月17日、広島高裁の森一岳裁判長は、伊方原発3号機の再稼働を差し止める判決を下しました。これは、地震や火山の噴火によって、住民の生命が危機にさらされる可能性を認めたもので、福島の悲劇を教訓にした画期的な判決だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、あろうことか同高裁の横溝邦彦裁判長は、四国電力の申し出による審尋(非公開で裁判長の前で双方の主張がおこなわれる審議)を開催。そして3月18日、なんと原発再稼働の差し止めを翻し、原発の再開を認めます。

 

 

 

 

 

 なぜ、同じ裁判所に属する二人の裁判長から、このような真逆の判決が下されたのでしょうか。

 

 ここで伊方原発発3号基の裁判の経緯を振り返ってみますと…

 

 

16年8月 東京電力福島第一原発事故後の運転停止から約5年3カ月ぶりに運転再開

17年3月 広島地裁、運転差し止めの仮処分申請を却下

   7月 松山地裁、運転差し止めの仮処分申請を却下

  10月 定期検査のため運転停止

  12月 広島高裁、運転差し止めの仮処分決定

18年9月 広島高裁、運転差し止めの仮処分を取り消し

      大分地裁、運転差し止めの仮処分申請を却下

  10月 運転再開

  11月 高松高裁、運転差し止めの仮処分申請を棄却

19年3月 山口地裁岩国支部、運転差し止めの仮処分申請を却下

  12月 定期検査のため運転停止

20年1月 広島高裁、運転差し止めの仮処分決定

20年3月 広島高裁 運転差し止めの仮処分を取り消し

 

 

 市民が懸命に原発再開阻止を訴え続けているのに、地裁はそれをことごとく棄却。控訴に及んだ高裁では二度に渡って差し止めを勝ち取りますが、同じ高裁で二度とも取り消しに。司法が行政に忖度していることは、多くの識者が指摘する処ですが、原発の裁判においてもそれが歴然と行われている事を、改めて見せつけられた思いがします。

 

 

*≪原発「運転停止」判決の裁判官に襲いかかる「ハラスメント」の数々≫

この記事には、上司に忖度せざるを得ない裁判官の姿が如実に描かれていますので、ぜひ最後まで読んで頂けたらと思います。

 

 

 

 

 

 一体何故、こんなことになったのでしょうか。

 

 

 2013年、第2次安倍内閣は官房内に内閣人事局を設置。これにより安倍前総理は各省庁を意のままに出来るようになりますが、実はこれによく似た仕組みが、最高裁判所内に存在するんですね。 

 

 最高裁事務総局とよばれるその組織は、最高裁長官や最高裁判事を多数排出している超エリート集団。そこには一流大学法学部→判事補→東京地裁判事→事務総局勤務→事務総局の総長あるいは局長→高裁長官→最高裁長官・最高裁判事という、ひじょうに冷厳な出世コースがひかれており、上意下達は当然のこと、上司や先輩にさからえば一生うだつが上がらなくなるので、若手裁判官達は常に上席の顔色を窺っているのだとか。

 

 そしてヒエラルキーの頂点に立つ最高裁判事や最高裁長官を任命するのが(人選は最高裁事務総局)、内閣なんですね。つまり司法の世界で最高位に昇り詰めるには、時の内閣の覚えがめでたくなければならないわけです。

 

 政治に忖度する人物が最高裁長官になり、その配下の最高裁事務総局が全国の裁判所の人事を握る。果たして、これで正義は行われるのでしょうか?

 

 現に今回の判決で原発再稼を認めた横溝邦彦裁判長は、出世の遅れをひどく気にしていたようで、誰への忖度なのかはわかりませんが、起死回生を狙ったのではないかという噂も聴こえています。

 

 原発に我欲を持ち込めば、どんな結果を招くのかは、福島の悲劇で明らかなのに…

 

 

 

 

 最後に、真実と信念と良心にしたがって判決を下している裁判官が、少なからず存在することをご紹介して、今回の記事を終わりたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 では、また!

(^^)/

 

 

The river/Bruce Springsteen