みぃです。

 

私は子ども達から、「使用前」「使用後」といった表現をよくされます。

さて、何の「使用前」「使用後」なのか!!

 

それは

仏教を勉強する前の母

仏教の勉強を始めてからの母

の違いです。

こういった表現もどうかと思いますが・・・。

 

それほどの違いがあるようです。

 

仏教を学んで変わった事は沢山ありますが、

以前の私の恥ずかしい話を1つ。

子どもの教育の事です。

 

子どもの教育費は本当にお金がかかります。

塾代もたまったものではありません。

その家計をやりくりして塾通いをするなら、しっかり勉強して欲しいと

思うのは皆さん同じだと思うのですが、

私はそれを

「○○高校よりは良い学校に行くように頑張って!」

と言っていたんです。

 

テストの結果を見ても、これでは○○高校は無理やんか・・・。とか。

 

高校名を基準にして話していましたね。

(この話、今でも子ども達にチクチク言われます。)

 

それが子ども達のためだと思っていました。

 

だから、子どもが学校に行かなくなった時はショックでした。

足元から崩れ落ちていく気持ちでした。

どうして学校行かないの?と怒ったりもしました。

 

そんな中で出会った学び

 

パートナーアングリー

 

身近な人に対するのは「怒り」ではなく「恐れ」

 

少しでも良い学校にと思っていたのは、

その方が良い就職先に行けて生活の不安も少ないだろうと考えていたから。

学校に行かなければ、その考えが根底から崩れ、生活出来なくなるという「恐れ」

 

そう学んだ時、初めて子どもに対して

「どうして学校に行って欲しいと思っているか」を話せました。

想像してしまう悪影響を恐れ、怖いのだと・・・。

今まで親として上から物を言っていた節があるので、怖いんだと話すのは少し勇気が入りましたね😅

 

そうすると、「学校行きなさい」「嫌だ!」の応酬ではなく

ちゃんと話を聞いてくれ、そんな心配はないと言ってくれたのを覚えています。

お母さんが思うより、自分の事を考えていると。

 

もちろん、そのやり取りの1回だけで万々歳!!全て解決ではありません。

でも、一歩勧めた一コマではありました。

 

子ども達との向き合い方もずいぶんと変化しました。

なんせ、使用前・使用後なので😁

その中の1つを!!

学校に行かなくなった子どもとの珍道中は

これから少しずつでも綴っていけたらと思います。