星一徹さんが
消えた中学受験塾、生き残った中学受験塾

なんて、記事を書くもんだから、

そういうことなら、BBAが黙っていませんよ、と

認知症気味なダラ母も、昔の記憶を辿ってみました。

 

うちの母は、基本的に放任系だったのですが、何故か4人兄弟の3番目のダラ母から、教育に目覚めたらしく、ちょっとした教育ママになってました。

 

ダラ母当時は中学受験と言えば、日曜に四谷大塚のテストを受けて、ウィークデーは四谷大塚準拠塾に行くというのが、都内では一般的なスタイルだったと思います。

四谷大塚は基本、テスト+解説授業だけなので、中学受験における地元系零細塾の占めるシェアが今よりずっと大きかった。

ちなみに、四谷大塚にも歌があったよ。

御三家に行った子が

絶妙な替え歌「四谷大塚老人病院」

を作ってて、その歌詞は今でも完璧に覚えてる。

「風だ光だ明るい窓だ

揃う笑顔の病室だ

わたくしたちはぼくたちは

今日を生き延び

明日に賭ける

ああ四谷~大塚老人病院~♪」

小6男子作

 

ダラ母が、中学受験の塾との関わりを持ち始めたのが、小学校3年だったかな?小4の夏だったかな?

これはたぶん、公立中学で内申が悪くなりそうな我が子を心配した母が、高校受験を回避させようとしたんだと思う。

(悪ガキな兄で苦労したから?)

 

始めは「市ヶ尾進学教室」だったかな?

これは、四谷の入塾テスト対策のための塾。

 

その後だったかな?二子玉川の「秀峰」

厳しいっぽかった。

 

今は亡きぶQ(武久鴻志会)って、本部は中野にある塾だったみたいだけど、市ヶ尾か秀峰のどっちかが「ぶQ」だったような気がする。

あのオウムのロゴも記憶にあるぞ。

(参考書の出版だけ、今もやっているみたい)

 

あと東大卒が自慢の変なオヤジの個人塾←ここは最悪だった。

 

そして、今思うと少数精鋭?だった弱小塾「梶ヶ谷進学教室」でフィニッシュ。

←梶ヶ谷ではないダラ母の地元にあった。

 

ダラ母も結構な塾遍歴だな。

どれも今はもう存在しないはず。

 

当時の四谷大塚はAコースが準会員。

B・Cコースが正会員でCコースが一番上。

ダラ母は、準備したにも拘わらず、始めはAコース(準会員)。

その後、ずーっとBコース。

最後の方はBコースの最下位層(下から10番台)で安定して、フィニッシュ。

中野だのお茶の水だのは別世界でした。

だから、星一徹さんのような四谷大塚生の矜持みたいなものは、ダラ母には全く無かった。

 

かの有名な桐杏学園のハチマキ雄叫び正月特訓にも、ダラ母、桜蔭とは関係ないのに、桜蔭熱望の友達の付き合いで、参加させられたっけ。

宿泊じゃないのに、なんと3食付なのよ。この正月特訓。

メイン参加者の友人は、仕出し弁当が口に合わず、ほぼ絶食状態で、周りの子をドン引きさせてたなぁ。

今思えば、ダラ母、Bコースのビリのくせに、付き合いとは言え、よく桜蔭特訓なんぞに参加したもんだ。

今もって話のネタにはなるから、いいんだけどね。

 

こう思い起こすと、ムスメに負けず劣らず迷走してたんだな、やっぱり。