何か物事が起きた時には、

表面的な解決を図ることと同時に、

もう一方で私たちには、

「この出来事から何を学べるのか」という視点も持てるようにできています。


これは、もうギフトと言ってもいいくらい、

人に与えられた素晴らしい能力、視点、角度なのではないかと思いますね。


こういった見方ができるとできないとでは、凄まじい隔たりがあると言っていいかと思います。

人間力の差が大きく出るところかと思います。


私の個人的な考えでは、

「私たち生命は、ここ(地球)に学びをしにきている」という考え方がしっくりきていますので、

その考えを前提に話すとすると、


私たちは、学びたい生き物であり、

うまく学べるよう、タイミングよく学びが配置されています。


その学びというのは、

もちろん、この普段使いの脳みその範囲で考えている次元ではないです。


手の入れようのない、この生命としての自分の意思の話です。


ですから、現時点の自分は、

自覚しているしていないに関わらず、

自分で学びたいと思った通り学んできた

その最新の結果であると言えますね。


トライアンドエラーの連続で、ここまでやってきたわけです。


目的やゴール、進むべき方向なんてものがあるわけではなくて、その過程だけがあるんですね。


そういうことをどんどん突き詰めていきますと今度は、私たちは、その場その場で、誰かの学びの配置になっているということにも気がついてくるわけですね。


一瞬たりとて、無駄なものはないのですね。


まずは、自分のままでいながら、自分から離れて、自分を観ることができるか。


これはひどく重要ですね。