赤ちゃんが産まれるはずだった2019年6月の予定日も、赤ちゃんを堕ろした「11月6日」も普通に過ぎていきました。
それらの日を迎えることを怖いと思っていた私は、日常に追われつつも、
“この日がきたんだな…”
と何度もハッとしながら過ごしました。
特別な日は、私の心がどうかなんて関係なく普通に訪れました。
中絶したその日、私はきっと出産予定日が来るのをすごく怖いだろうと感じていました。
私は相当落ち込むのだろう…と。
産婦人科で妊娠がわかった時に先生手書きによる、出産予定日のメモ。それを受け取った時の不思議な感覚とそのあまりの遠さ、産めるのかもよくわからない不安。予定日への思い。
忘れることはない。
悲しみが根底にある状態は、今も変わりません。
きのうも今日も一昨日も10日前も、やっぱり私は、宿った命について思い出しているし、後悔は消えることはありません。
小さな赤ちゃんを見ると、産む選択をして無事に産まれていたら、このくらいに成長している頃かな?と、考えている私がいます。
私が赤ちゃんを授かった時の彼とのメールの中で、
“この子は産まれてきたら祝福されず、不幸になる命なんだよ。”
という彼からの言葉があります。
その言葉は堕ろす選択へと揺らいだ1つの言葉です。
あの時中絶を決めたのは、彼の言葉によるものだけではないですが、もし彼が産んで欲しいと言ってくれていたら、私はきっと産んでいたのだろうと思います。
産んで欲しい、と言ってくれる彼の言葉が聞きたかった。
こんなにも毎日思い出して、1年以上経っても私は、全く気持ちの切り替えができていません。
このままではよくないなと。
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彼との関係は、2020年となった今でも続いています。
“もう会うのやめよう”
この1年で2回、私の方から言い出しました。
不倫はよくない。
嫌いではないけど会うのをやめたい。
ー彼を嫌いじゃないー
この言葉が彼を安心させてしまうのか、会うのをやめたいと言ったあと、しばらくして彼から、
“会いたい…”
と言われ、また会ってしまう。
別れは、2回とも失敗に終わっています。
彼は別れを受け入れてくれないようです。
私を妊娠させてしまったから、一緒にいることが責任と思っているのか。
会う頻度は、誘われても私が理由をつけて断り、この1年でぐっと減りました。
会う場所も、私の住む方面まで来てもらうようにしました。
相変わらず多忙なのに、会う時は来てくれる彼。
私も会ってしまったら楽しくて、満たされて、また会いたくなります。
セックスの相性がいいことは、お互い感じています。していると、相手を信じられないくらい身近に感じます。
好きだから気持ちいいから、盛り上がって色んなことがどうでもよくなってしまう。
キスしながら手を繋ぎ、また、見つめ合いながら彼を私の中で受け入れる。
それはとても安心するし、彼をより大切に感じる瞬間です。
もちろん、また妊娠しないように彼も気をつけてくれています。
私はきっと、私にはない彼の明るい性格や、活躍し眩しい世界にいる彼を魅力的に感じているのだろうと思います。
でもこのままじゃいけない…
彼なしで生きられるように、なんとかしなきゃいけない…
頭ではわかっていても、実際終わらせることができず、誘われたら何回かに1回は会ってしまうのが現状です( *_* )