3月11日の記憶。 | LUKEのペースで。

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*ルーク♂(イザベラ・タン)
*ミニチュアダックスフンド(スムース)
*2014年7月25日 群馬県生まれ
*内弁慶でヤンチャでビビり

(☆セルフジェルネイル/車/大塚愛
もちょこちょこと。)

2011年3月11日の記憶です。

とても大きな試練を与えられた日です。

その日、介護職に就いていた私は
夜勤明けだった。

昼間、車検の為、車を預け、
代車に乗っての帰宅途中、
聞いたこともない音の地震速報が
車内に鳴り響いた。


揺れた。走行できないほどの揺れだった。
本気で地球崩壊すると思った。

周りを見渡すとみんな車を一時停止させていた。

さらに周りを見渡すと、
崩れていく塀や、建物、
泣きながら走る子供、
慌てふためく人たち。


ママの会社の近くへいたため、
ママの会社へ向かう。

ママは家へ戻ったよ!と会社の方が教えてくれて、
私も急いで家へ戻るが、あちこち通行止めだった。
道に、亀裂が入ったり橋が浮いていたり、車で走れない状況だった。


でもなんとか冷静に周りを見ながら自宅へ帰る。
全壊、半壊していた家を何軒見ただろうか。
その中に人はいたのだろうか。
いたとしたら助かったのだろうか。


ママと合流する、家へは入らず車でテレビ確認しながら待機する。
津波の映像を見ていた気がする。

今は津波の映像を見る事が苦しくてしょうがない。


とんでもない事が起こっていたが、その時はわけもわからずだったので割と冷静だった気もする。


何を考えていたか記憶にない。


津波と津波火災と地震と原発の影響で、
知ってる街が知らない街と化す。

とにかく安否確認しなくては。
彼氏と友達と知り合いとパパ達と。

連絡が夜中まで取れなかった。
ずっと携帯握ってた。


親戚の家へ避難する。
余震が怖くて眠れない食べられない。

夜中やっと繋がる彼氏との電話に安堵する。


その後の記憶があまりない。
何をしていたかもあまり覚えていない。


ただ水道がずっと止まっていたので、水を汲みに行く。ガスも止まっていたっけ。

水が出る家へ皆で押し寄せていた。
その人の家には行列ができる。

助かりました、ありがとう。

食料の調達も難しかった。
買ったこともないお菓子やらなにやら、
とにかく食べれるものは買い漁った気がする。

寝る時はすぐ逃げれるように靴と寝ていた。笑
何回も、地震速報の音で目を覚まし、靴を履く、ということをした気がする。笑


地震、津波ときて、
まさかの今度は原子力発電爆発。

放射能騒ぎの中、
何人の人たちが水を求めて外にいたことか。
何人の人たちが食べ物を求めて外にいたことか。

地震、津波、津波火災、原子力発電爆発。
こんな事がありえるのか。
なんて酷な試練なのだろうか。



福島を離れる事を決意する。
最低限の荷物をまとめ車を走らせる。

どこでもいい、とにかく福島を離れる一心だったのだろうか、覚えていない。

彼氏のいる埼玉に、行くことになる。
行く道中のスーパーで食料を買い込む。
いろんなものが手に入り喜びを隠せない。

ホテルへ泊まり、
彼氏の家へ家族で泊まり、
レオパレスを借りる。
しばらく避難生活となった。
幸いにも貯金もしていたし、
車検だった為、お金もそこそこ手元にあった。

ところどころ何をしていたか記憶がない。

ママ達は仕事の都合上、福島へ一旦帰る。

1人、埼玉へ残る私。
とにかく毎日、不安でいっぱいだった。


地震速報の音が鳴り響くと同時に苦しくなった。

ただ、ほぼほぼ毎日会いに来てくれたり、小さな揺れの地震でも彼氏が来てくれたので、安心できた。大きな存在だった。
精神面で大きく支えられた。


レオパレスに1人、パパへ電話する。
何年ぶりに聞いた声。
若くてかっこいいパパの声が
おじさんになっていた。
泣いた。
私と彼氏の事とか
パパとばあちゃん達の事など少し話をした。
皆、無事だと知った。


しばらくして、私も一時福島へ戻る。
お世話になった職場へ退職願を出しにいく。

桜が綺麗に咲いていた横では、
津波で流されて放射能を浴びたとされるであろう残骸が黒いシートを被されて、たくさん山積みにされていた。
怖い光景だった。


福島でしばらく生活し、また埼玉へ行く。
埼玉へ転居する。

1、2年後、彼氏と福島へ行く。
住んでいた家へ行き、
よく行っていた海へも向かった。

向かってる途中、
津波に流されて壁にぶつかったままの車があった。持ち主が見つからないのだろうか。
あったはずの家が土台だけ残して、そこにはなかった。
知っているはずの場所なのに、
あれ?ここはどこ?って感じだった。
息苦しくなった。


色んな話も聞いた。
ボランティアの方達が来てくれて、
お礼として、お菓子など渡したりするんですね。

でもボランティアの方達が帰っていく高速道路上のパーキングエリアのゴミ箱には、
開封されることのなかったお礼の品が、
山積みになっていたと。
放射線浴びたモノなんか、
食べられるものかと捨てたのだろうか。

風評被害が本当にすごかった。

福島から来たんですって、
しばらくは言えなかった。

でも言葉がやはりちょっと違うからか、
一言話すと、どこから来たの?と
聞かれる事が多い。
聞かないでほしいなと思った。
福島ですと答えたらなんて思う?
『被爆者なの?近づきたくないわ』と思う?
人の目が気になった。


2011年3月11日から
2016年3月11日、
5年もたったのか。
まだ5年しかたっていないのか。

たった5年で人生が大きく変わった。

埼玉にきてからしばらくは
津波被害者一覧を見る事が日課になった。



最初で最後の出来事であってほしい。

ただ言える事は
『東日本大震災を、忘れない』
んじゃなくて、
『忘れたくても、忘れられない』ということ。

これまで出会った人、これから出会う人、
色んな事、色んな物を
これでもかってくらいに大事にしたいと。
守っていこうと。
毎日を一生懸命に生きようと。



海が大好きなのに、海が怖い。

磯のにおいが大好きなのに、
磯のにおいで苦しくなる。

でも、しょうがないんだね。
自然には本当に勝てない。
どうしようもない。


まだまだ深い内容だったと思うけど、
あまり記憶がないので、こんな感じだった。




そんな今日の朝、私の後に目覚めてくるルーク。
ルークが、寝ていた布団をめくる。
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なんですの、これ。
よだれなの?鼻水なの?なんなの?笑