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みーこです。

 

さてさて、2023年10月22日。

与野党対決と話題になった徳島・高知と長崎の衆議院補選。

徳島・高知は無所属の広田一氏、長崎は自民党金子容三氏が当選し、与野党ともに1勝1敗とニュースになっておりました。

 

投票率の低さも話題になっているようですね。

 

自民党の増税、売国政策は反対だけど、野党の政策もいまいち、投票したい党がないと思っている人が多いことを表しているように感じております。

 

そんな中、「投票したい党がないなら自分たちで作ろう」というコンセプトで立ち上がった政党があります。

 

その中でも最近話題になっている「日本保守党」と「参政党」なんですが、この2政党の本質的な違いが、人の生き方の違いにもつながっているなと感じたことがありました。

 

先に言い訳をしておきますと、私自身はどちらの政党を応援しているということはありませんし、特定の政党を支持しているということもありません。

万が一あったとしても、こういった場で発信することはナンセンスだと思っておりますし、今回ブログに書く内容は、「だからこの政党がいい」ということを主張するものではありません。

 

あくまでも今回は「どちらの政党も投票したい党がないなら自分たちで作ろう」という同じ目的を持ちながら、その本質的な在り方に大きな違いがあると感じたことが、「生きていく」という同じ目的を持ちながら、一人ひとり生き方が違うこととリンクしたように感じたという私見を述べさせていただくだけでございますので、エンタメとしてごゆるりと読んでいただければ幸いに存じます。

 

政治とプロ野球と髪の話題はデリケートですからね。ええ、本当に。

 

ちなみに、これから書くことにつきましては、YouTubeの街頭演説や、Yahooニュースなどを見て、自分なりに感じたことをまとめております。

日本保守党の情報が少ないので、記載内容に誤りや偏りがありましたら、コメントなどで教えて頂けると幸いです。

 

さて、本題に入らせていただきます。

 

「投票したい党がないなら自分たちで作ろう」と誕生した日本保守党と参政党ですが、どちらも新しい保守政党として誕生しています。

 

詳細な政策まで確認できていませんが、どちらの党も、現在の与党の政策を問題視しており、日本国民で日本を動かしていく、日本国民を、日本を守るための政党を掲げているように感じます。

 

日本を守る

国民を守る

自分たちで投票したい政党を作る

 

二党とも同じ目的のように見えますが、

二党の在り方が全く違うんですよね。

 

何が違うのか。

本質を見ると、党が持つ力の場所が違います。

 

日本保守党は、百田尚樹さん、有本香さんがメインのメンバーで、最近は河村たかしさんを共同代表に任命されています。

党を引っ張るリーダーが力を持っており、党員は協力する形です。

 

参政党は、最近松田学さんから神谷宗弊さんに代表が変わり、神谷宗弊さんの独裁と言われていますが、実は参政党の力がある場所は、一人一人の党員と有権者の国民なんです。

 

神谷宗弊さんが代表になったことで、より党員に求められることが増えているのではないか、私はそう感じています。

 

矢印で力の在り方を書いてみるとこのよう形です。

 

<日本保守党>

党の代表・上層部「日本を守ろう、応援してほしい、一緒についてきてほしい。」

党員「党の方針に従います」

国民(有権者)「日本保守党の政策に賛成」

 

<参政党>

党の代表・上層部「党の方針はありますが、党員の皆さんに動いてもらいます」

↓↑

党員

↑代表・上層部へ「こんなことがしたいので応援してほしい。」

↓国民(有権者)へ「投票お願いします」

国民(有権者)「参政党の政策・党員さんに賛同します」

 

投票したい党がないなら自分たちで作ろう、というコンセプトは同じですが、

日本保守党「他の党にない政策で投票したい党を作る」

参政党「党員の皆さんの力で投票したい党を作る」

というように、党の組織の作り方、あり方、力を持っている場所が違うのではないかと思うのです。

 

この党の在り方の違いが、生きていることの違いにどうリンクするのか。

 

日本保守党の在り方は、自分以外の存在から学んで行動する、

参政党の在り方は、自分で見て、聞いて、考えて、自分で行動する、

という生き方の違いと繋がっているように感じたのです。

 

赤ちゃんとして生まれて、自我が生まれてくるころは、

自分で考えて行動することができても、

外の世界に対する知識が少なく、

何が自分にとって危険なことなのかわからない状態です。

 

実際に痛みやネガティブな感情を経験して、外の世界への知識を増やし、自分自身で考えて行動できることが増えていきますが、食べ物ではないものを飲み込む、刃物が何かわからずに扱うなど、命の危険を脅かす経験をしてしまっては、生き延びることそのものができなくなります。

 

そのため、赤ちゃんが自分で動くようになった時は、赤ちゃんが行ってよい行動、行ってはいけない行動を親が監督します。

 

監視の仕方はいろいろありますが、自分が生きることに対して方針を示してくれるのが日本保守党の在り方と同じかな、と考えたのです。

 

そして、成長して知識が増えてくると、自分自身で判断できることが増えてきます。

その時には、親にいろいろと制限されることに不満を感じるようになったり、親の言葉と行動に矛盾を見つけ、納得できないことが生まれたりします。

そうなると、次は自分自身で見て、聞いて、考えて行動していきます。

これが参政党の在り方と同じだなと思ったのです。

 

ですが、やはり自分自身の判断で考えられないような出来事があれば、やはり自分以外の存在に頼る必要が出てきます。

 

どちらの在り方が良い、悪いということではなく、

どちらの在り方も人には必要、ということではないかなと。

 

日本保守党と参政党が保守界隈で話題にあがっておりますが、

本質的な違いを解説している記事が少ないように感じたので、

今回は簡単ながらこのような記事を書いた次第であります。

 

岸田総理の支持率が日々話題になっておりますが、

私は、岸田総理は国民の政治に対する考え方を変えたという実績を作られたのではないかと思っております。

 

「良い」も「悪い」も個人の価値観、

自分自身がどうしたいか、どうありたいか、

自分だけで決めるには経験と知識が必要ですが、

周囲のありがたさに気付くためには、

自分の判断で大きな失敗を経験することも必要だったりします。

 

自分で行動できることには限りがありますので、

生きていくためにはやはり誰かの力を借りることが必要ですし、

意識せずとも誰かのおかげで成り立っていることに変わりはないということで。