ひとりごと。(2019.12.25) | 嵐・二宮和也のマリオネットなかずのこのブログ-そのコトバ・シグサ・アイ-

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キラッキラの5人組が大好きです。
二宮和也に惑わされ、転がされることに幸せ感じてます、代わりに重い想いと愛を。



12/24会社に行く電車の中。
偶然目にした5×20の歌詞を見て、がちで涙目になった。本当にこらえてた。
歌詞ちゃんと見たの初めてで、そして嵐に限らず歌詞追うだけで涙も初めて。
色んな想い、二宮担としての想い、嵐ファンとしての想い…色んなものがこみあげてきた。それほどまでに、濃かった。たぶん、自分が思ってる以上に。









コンサートいって、アイドルしてる二宮見たら、やっぱり好きだなって思うだろうな。
あと1年しっかり二宮担としてやっていこう、って思いになるかもしれない。

けど、二宮のこと信じられなくて、何かあると二宮のせいって思っちゃう自分がいて、もう前みたいに純粋な気持ちでは応援できないんだろうな、って。わかってる。


二宮のインタビュー見て、「ずっと付いていこう」って思ったファンもいるわけで。
捉え方なんて人それぞれだし、種々のターニングポイントとかきっかけで、応援し続けるとか吹っ切れた人もいるし、降りた人もいる。
どちらがいい悪いではなくて、こんだけ同じ人間に求めることって違うんだなって思うよね。


今回の件まるっと含めてだったり、結婚自体もそうだし、公式発表のタイミングとか、インタビューとか、自分の口から触れるタイミングや場所とか、全て全て二宮の想いが入ってる可能性もある。
「嫌われ役は自分が引き受ける」って昔から言ってきた人だから、他のメンバーに一番批判や影響が来ない方法を考えたのかもしれない。タイミングも場所も、言葉も、本当はめちゃくちゃ考えられたもので、めちゃくちゃメンバーとファンを想ってのことかもしれない。二宮の考えって一直線でも素直でもないから。なかなか理解されないことが多いから。複雑な思考回路で(でも紐解けば実は単純なことも知ってるよ)、誤解を与えやすいから。



「知ってるよ」って書いたけど、
この一件で、私が9年以上見てきた二宮和也像は間違ってたのかなって思ってしまった。観察と考察して、テレビ上がほとんどだけど色んな姿を見てきて、ちゃんと悪い部分というか、本性なんだろうなって部分も見てきて、理解した上でずっと応援してて、やっぱり好きだなってなってた。

ああ、そうだ。
二宮って公私ちゃんと分けるタイプだったじゃん。

……でももっと上手い分け方、伝え方あったんじゃないかなあ。

……ああ、でも二宮ってそういうこと不器用だからなあ。


いまの私はこういう思考回路の繰り返しで、でも結局、ファンに与えたもの(本人にそのつもりなくても、裏切りだったり)は変わらないし、それを上回る言い訳というか、そういうものはないんだろうなって思う。

変わってしまったんだよね。年齢と経験積み重ねて。「変わらない」って言っても、今まで「変わらなさ」を体現してても、変わるときは変わってしまうんだなあ。悲しい。
「変わらない」って二宮の言葉を全く疑わず信じてたから、衝撃と悲しみが大きいんだろうなあ。
信じすぎてた。
けど、疑う余地のないくらい、あの頃の二宮の言葉は信じられたんだ。行動も伴って。



担降りしたとしても、担当変えることはない。降りるだけ。二宮以上に魅力を感じて、のめり込めて、好きになれる人もういないよ。


今まで、誰かの担当やめる=グループのファンをやめる、っていうイメージだったんだけど、そうじゃないことに気付いて少し楽になった。
グループを推すことも、同じくらいちゃんとファンだよね。










2019.12.25(朝)

「ありがとう」と「幸せ」を届けて。