『わら一本の革命』というのが日本語の正式な題名だった。福岡正信という人が書いたその本は、隆の考え方を根本的に変えた。特に隆が感銘を受けたのは国民皆農論だった。福岡正信さんによると、一人ひとりが自給自足の生活をすることで、すべてが解決するというのだ。自分の食べ物は自分で手に入れる。これが動物界の基本で、すべての動物は狩りをしたりしながら自分で食べ物を確保している。人間だけが唯一、直接手を下すことなく、食料を手に入れている。しかしそれは近代以降のことで、もともと人間も全員が自給自足の生活をしていた。自然の法則に沿って生き、必要なぶんだけをとり、それ以上はとらなかった。自然から与えられるものだけをとり、自然の営みに任せて生きることでバランスが維持され、循環が起きていた。 問題の始まりは人間が余計なことをするようになったことだ。余計なことというのは、不必要なこと。自然の営みにとって不必要なことだ。例えば耕すこと。田畑は耕さなければならないとみな思い込んでいるが、本来は耕す必要などないという。必要がないどころか、耕さないほうがいいというのだ。耕さないことで土の中の生態系が維持され、微生物の働きで自然と土が肥えるという。逆に、耕すことで土は痩せていくというのだ。田畑に肥料を入れるのも余計なことで、本来肥料など必要ない。化学肥料はもちろんのこと、有機肥料ですらいらないという。しかし、耕すようになってから土が痩せてしまい、肥料が必要になってしまった。 肥料過多になると土壌のバランスが崩れ、作物が病気にかかりやすくなる。 雑草も取り除く必要がないという。作物の周りに雑草があることで、様々な虫が集まる。ある虫の天敵も集まってくる。自然の力ですべてのバランスが維持され、決してある虫だけが増えることはない。従って作物が虫にやられることもない。雑草を取り除くという余計なことをしはじめたために、虫が作物に集中するようになり、虫への対策を考えなければならなくなったのだ。病気や虫への対策として農薬が使われるようになった。 人間は問題を解決しようとして余計なことをし、新たな問題をつくる。そしてその問題を解決するためにさらに余計なことをするという悪循環が続いている。余計なことをするのではなく、元に戻せばいいという。雑草を取り除かない。耕さない。肥料を与えないという本来の形に戻すことで、すべてが解決するというのだ。 分業化や機械化も余計なこと。自給自足の生活をしていれば循環を維持できたのに、分業化することによって大量生産をする必要が出てきて、大量生産するために機械化する必要が出てきた。福岡さんによると、石油を使うことほど非効率なことはない。わざわざ中東まで行って地中をドリルで掘り、その石油をタンカーで運んでくる。 実は、分業化の問題というのは何となくわかっていたものの、この本を読むまではっきりとはわからなかった。わかっていたつもりでも、実はわかっていなかったのだ。福岡さんは農家の現状を詳細に語っていた。農産物を販売する時の苦労話。農協の規格と消費者の要望。少しでも形が変なものや虫に食われていたりするものは規格外になり、売れない。そこで農家は規格内の商品をつくるために農薬を使わなければならない。野菜にはとれる時期がある。昔はみんな旬の野菜しか食べなかった。畑にあるもので献立を考えた。ところが最近では、献立が先にあり、それに必要な材料を季節に関係なく消費者は求める。その需要に応えるために、ビニールハウス栽培が始まった。しかし、このビニールハウス栽培には大量のエネルギーが必要で、コストも馬鹿にならない。元を取るためには大量につくらなければならない。しかし、外国から安い農産物が入ってきて、国産の野菜は売れなくなってきている。農家はとてもではないけれどやっていけない。トラクター等の購入費や維持費などにもお金がかかり、農家の家計は常に苦しい状態にある。 最近は自然食ブームで、無農薬野菜や有機野菜を求める消費者も増えてきた。しかし、作り手と消費者に分かれている構造では、状況はたいして変わりない。消費者は平気で農薬はいけない、化学肥料はいけないと言ってくる。しかし、化学肥料を使わず、農薬を使わないで規格内の野菜をつくることがどれだけ大変かは、誰もわかっていない。あるいは、大量につくることがどれだけ大変かはわかっていない。多少形が変でもかまわない。多少虫に食われていてもかまわない。季節の野菜だけでかまわないと言ってくれるのならいい。しかし、大多数の消費者はそうではない。安全は求めても、それに伴う対価を自ら払おうとはしないのだ。価格のことでもそう。では安全な野菜を手に入れるために値段が高くても買ってくれるかというと、そうではない。少しでも安いものが現れると、平気でそっちに乗り換える。カリフォルニア辺りからより安い有機農産物が入ってくれば、そっちを選ぶ。オーガニックだからいいと単純に考え、背景にある構造にまでは誰も目を向けない。 専業農家と消費者に分かれている限り、無農薬にしても有機にしても、根本的な問題は解決しない。少数の人が食料をつくり、大多数の人が消費する側にまわっているという構造が変わらない限り、問題は永遠に続く。 ここでも、問題を解決するために余計なことをするのではなく、元に戻せばいいという。つまり、自給自足の生活に戻ること。